yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

台東区「一葉記念館」

台東区に「めぐりん」という、便利なコミュニティバスサービスがあることを知っていれば、池波正太郎所縁の地探訪というのがテーマだった先月、もう少し効率的な回り方ができただろうと残念。北、東西、南と、三種類ある。1日乗車券でどこででも乗降車できるという極め付きの便利さ。ヨーロッパでの同種の乗車券を想い出させた。滞在2日目、3日目、そして最後日の三日間はこの券で、北、東西、南のほぼ全線を回った。「鬼平」、「剣客」、「仕掛人」を含む池波正太郎所縁の地がこの「めぐりん」を使うことでほぼ網羅できることになる。また上野、浅草もこのバスで何度も通ったり、途中下車できた。

土曜日(11月24日)は観劇前に「一葉記念館」と吉原に行ってみた。

あとで前日に講演会があったことを知り、聞きのがしたのが残念だった。「一葉生誕140周年」の記念行事の一環で、展示も「奇蹟の14ヶ月」というテーマのもとに充実していた。

なにしろ24歳で亡くなったんですからね。夭逝というにもあまりにも早い死。22歳から亡くなるまでの14ヶ月が彼女のもっとも生産的、かつ充実していた時期だったということで、その時期に書かれた小説の草稿原稿の一部、また各作品の解説と評価等が展示されていた。

7歳で曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』を読み、親に隠れて草双紙を読んでいたという早熟ぶりだった。私立青海学校の高等科を出たあと、上級に進まなかったのは、母が女性には学問が不要と考えていたためだった。下級同心だった父は彼女の才能を見抜いていて、和歌を習わせた。彼女の自筆の歌が展示されていたが、達筆だった。その後中島歌子が主催する「萩の舎」に入門、めきめき頭角をあらわした。父の死後は困窮、彼女は小説で収入を得ようとする。

その時の彼女の勉学の方法がすごい。図書館に通って知識を得たというのだ。最初に小説の師としたのが半井桃水で、あの有名な恋愛事件へとつながる。しかし、スキャンダルに嫌気がさした彼女は桃水と絶縁し、自然主義の作家たちの知遇を得、作品を『文学界』に発表した。このころの一葉の名が表紙にしるされている『文学界』の現物も展示されていた。本物をみるというのは、いつでも強烈なインパクトがある。

生活苦の中で吉原界隈の竜泉寺町に転居、荒物屋を始める。このころの一葉の手によってしたためられた仕入帳なども展示されていた。これも生々しい。吉原界隈での体験がやがては『たけくらべ』等の作品として結実するのだ。それからも続々と傑作を発表。『大つごもり』から『裏紫』にかけての期間は「奇跡の14ヶ月」と呼ばれるそうである。しかしすでに死の病だった結核で身体を蝕まれていた彼女は、24歳で亡くなった。惜しんでもあまりある死だった。

一葉作品は文学全集などに収録されている5作品程度しか読んだことがなく、今回の展示でその題材の選び方、プロットの精密な建て方、主題の明瞭さがわかり、驚嘆した。文語調、雅俗折衷の文体ではあるが、戯作の流れの上にあるというより、むしろ自然主義等の影響が感じられ、近代的である。女性最初の職業作家というが、その点では男性作家のような意識が強烈にする。また、和歌に親しんだというけれど、おそらくは当時の女流歌人の意識をはるかに凌ぐ職業意識が、あのどちらかというと硬質なプロット、主題の建て方を導きだしたのではないだろうか。代表作以外のものを読みたいのだが、最晩年の『わかれ道』、『裏紫』などは、前田愛校注の『全集樋口一葉』にたよるしかないのだろう。勤務校の図書館で調べてみるつもりである。