yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『浮世柄比翼稲妻』@国立劇場 11月24日

三泊四日の予定での今月の東京遠征。初日の木曜日には伊丹を朝8時の飛行機で発って、11時からの明治座の猿之助襲名興行を昼夜でみるという強行軍。これは失敗だった。二日に分けるべきだったと後悔。とくに夜の部をしっかりと鑑賞するには体力、気力ともに不足だった。一日一公演という今までの原則を守るべきだった。というわけで、この二公演については後日書きたい。

遠征三日目の昨日は国立劇場で鶴屋南北作の『浮世柄比翼稲妻』を観た。 先月の国立劇場公演が期待外れだったのであまり期待していなかったのだが、なかなかのものだった。うれしい「期待外れ」。今回も国立劇場文芸課による通し狂言再構築の試みだった。南北の原作を改補した利倉幸一台本と戸部銀作台本を参考に、文芸課がさらに補綴したもの。プログラムに載っていた文芸課の記事、「《通し狂言》としての可能性」には、心意気が窺えて興味深かった。普通では明かされない台本上の、そして演出上の工夫がこまかく記されていて、資料としても意味がある。歌舞伎の演出は座頭の役者が演出するのだけれど、こういう場合どう関わったのかが、気になる。今回の座頭は幸四郎だったのだが、稽古の時からの"making of Namboku"を知りたい。それに「文芸課」とせずに、名前も出して欲しい。

今回のものは原作前半部のみで、いずれは後半部を上演するとのことだが、その際には武智の補綴台本も参考するとのことだった。とくに白井権八の「其の後」がどうなったのか、観ていた人たちは早く知りたいに違いない。

明治座の猿之助も先代からの試みである復活狂言に挑戦していて、今月の東京は進取の意気に溢れている。アツイ!観客層の厚い東京だから可能という面もあるのかなと、ちょっと複雑な気もするのだが。関西だったら果たしてここまでの入りになるのか。最近は関西での上方役者のみの歌舞伎公演には出向く気がしないのも、この辺りが理由である。

このプログラムに掲載されていた「浮世柄比翼稲妻の作劇法」(高木元氏)、「パラレル・ワールドーー世界の綯交ぜ」(小池章太郎氏)も面白かった。松竹製筋書にない水準の高さ、専門性。

明治座の新猿之助も南北作品を公演中で、この点でも対応(対抗?)していて、この意味でも興味深い。しかもどちらも主役が悪というのも、いかにも南北作品!

幸四郎の不破伴左衛門はいかにも「悪」という雰囲気ではなく、いささか上品。ちょっと線が細い。あまりニンではない。彼には「寺子屋」の松王丸のような二面的役柄の方が似合いかも。それに比べると、錦之助の名古屋山三ははまり役だった。この人を見直した。福助の四役も良かった。高麗蔵の権八もなかなかのもので、今後もっと集中してみたいと思わせるものだった。