yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

池波正太郎の献立日記

アマゾンに注文していた神坂次郎著、『元禄御畳奉行の日記』が届き、もう一度目を通した。先日のブログ記事に書きそびれたのは、朝日文左衛門の日記の「芝居批評」と「献立日記」の部分である。彼の芝居の批評はとても辛辣、かつ的を射たものだったとは、神坂さんの評である。興味深かった。当時の芝居の内容、役者のことを知るのにも大事な史料になるのは間違いない。

でもそれ以上に面白かったのが彼の毎日つけていた「献立日記」の部分だった。これも当時の食生活を知る上で貴重な史料になるだろう。この文左衛門という御仁、几帳面というか一種の記録魔で、ある種の「フェティシスト」といえるかもしれない。

献立日記というと、沢村貞子の『私の台所』を思い浮かべてしまうけれど、池波正太郎にもその気があったようである。『食卓の情景』、『むかしの味』を読むと、毎日ではないにしても機をとらえてはその日の家の献立、また宴席での料理を克明に記述しているのに驚かされる。彼の食通としての真骨頂がみられる。この点でも文左衛門、沢村貞子向田邦子などの食通の系譜に池波正太郎も連なっているように思う。

池波正太郎の食通ぶりは半端ではない。おいしいものを食べるために仕事をしているといって憚らない。この点は向田邦子立原正秋と共通しているかもしれない。アメリカの大学にいるころ向田邦子の食関連のエッセイはむさぼるようになんども読み返したものだが、池波正太郎のものもこれからなんども読み返すことになるだろう。

池波の食関係のエッセイでいちばん心をうつのはそれぞれの食べ物の向こうに当時の庶民の生活、息づかいが感じられることである。上質の小説を読んでいるような、まさに人情喜劇(悲劇)をみているような趣がある。歌舞伎通で新国劇の台本を多く書いていた池波のこと、そのエッセイの中の人物たちがまるで目の前の舞台上の人物のような、そんな感じで浮かび上がってくるのだ。それがなによりもの魅力である。その点でもテレビドラマの脚本を書いていた向田と共通している。周りの人間を観察し、彼らの行動を文章にするのに、芝居の登場人物として組み立て直して提示してみせる。その「再構成」の妙というのがまさに名人技である。読み直すたびにその人物たちがいろいろな様相を呈して「行動」する。面白さはつきないのだ。

『食卓の情景』はまさにそういうエッセイ集で、どの章にもドラマがあって、わくわくしながら読む。どれもが傑作であるが、「縁日」という章を選んでみる。これは彼の十歳前後の日常風景の一コマを描いている。正太郎少年、縁日で出るドンドン焼きの「町田」という屋台の「ひいき」になり、屋台のおやじに弟子入りすると母に言って、にべもなくはねつけられている。正太郎少年にとって縁日は食欲のみならず、何かもっと広い世界への入り口でもあったようである。縁日の屋台に出ていたドーナツもどきのお菓子(ロールナツ)のファンになって、その弟子になりたいと母に願い出るが、今度も撃沈される。未練が断ち切れず、この屋台でのおやじの菓子をうるときの「かんでェ、かんでェー、喉に入る瞬間がたまらない」という口上の呼び声を小学校の級友のガキちゃんたちに披露、彼らをその屋台のファンにしてしまった。このあたりの描写、お腹を抱えて笑ってしまう。ぐっとくるのは続く池波の評、「(このおやじの口上は)どうです、悪くないでしょう。私も、なんとか、この口上のような小説が書けるようになりたいものだ・・・今もおりにふれてそうおもう」。

縁日でもう一つ彼が忘れられないの古本屋。縁日で母や祖母にたのまれたお菓子を買ったあとで、古本屋により道、『赤穂浪士』などの小説を買って帰宅、こたつに潜り込んで買ってきた本にかじりつくのが「無上の楽しみだった」と書いている。読んだ小説は映画化され、正太郎少年はためおいた小遣いでそれをみるのも楽しみだった。「十銭玉をつかんで、鳥越キネマへ駆けつけて行く」のだという。

このあとがまたまたケッサク!

このようにたのしく、たまらなく烈しく、私の少年時代は充実していたのである。」とここまで書いたとき、母が書斎へ夕刊をもって入って来て、この原稿をよみ、「また私をつかったね。今年からは小づかいを上げておくれよ」と、いった。

離婚して一人で息子二人を育て、母とその母をもその細腕で支えてきた純粋の江戸下町っ子の池波正太郎の母は実にタフ、一筋縄ではゆかない女丈夫で、さしもの正太郎もときとしてタジタジ(!?)ないのがオカシイ。