yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『桜姫東文章』in 「八月花形歌舞伎」昼の部@新橋演舞場8月20日

先ほど東京から帰宅。今日は『桜姫東文章』を新橋演舞場で観た。一等B席の当日券が入手できた。

18日には『慙紅葉汗顔見勢』(夜の部)をみたのだが、それと同様この『東文章』も四世鶴屋南北の作である。『慙紅葉汗顔見勢』については明日記事にするつもり。とはいうものの『慙紅葉汗顔見勢』を批評するだけの体力、気力が私に残っているかどうか。それほど視る側にもストレスを強いる作品だった。

こちらの『東文章』はまたちがったストレスを感じさせる作品ではあるし、南北らしいエログロナンセンスに満ち満ちたものだけれど、こういうのは大好きなので、多少はなんとかなるような気がする。

まず海老蔵を褒めたい。一昨日彼が『慙紅葉汗顔見勢』で超人的十役をこなすのをみとどけただけに、今日の権助の奮闘ぶりにもただ感心するばかりだった。この人、どこまでパワーがあるんだろう。あのぎらぎらした鋭い眼光から窺い知れる底知れないというべきか、得体の知れないというべきか、とにかくものすごい力を思い知った。テクニックというよりどちらかといえば力で勝負するひとなんですよね、海老蔵は。それが今までの歌舞伎役者にない長所でもあり、また短所にもなりうるところなんだろう。『若き日の信長』でのあのやたらと力んだ台詞回しもそれが短所として出てしまったのだと思う。でもその力が「正しい」流れとなって迸る時、歌舞伎の従来の型をぶち破る奔流となる。一日で南北の極めつけに難しい狂言二つを、それもいずれも通しで主役を演じるなんて、そこまでぶっとんだ役者なんて私が今までみてきた歌舞伎役者にはいなかった。かろうじて猿之助だった今の猿翁ぐらいだろうか。でも猿翁の方は演技にも技巧をこらす計算があった。そこが彼が「知的」だと分る点である。海老蔵が先代猿之助のもち狂言『慙紅葉汗顔見勢』にあえて挑んだのは、その「知的」な部分を借りようとしたのだともとれる。でもちょっと待って。玉三郎との『海神別荘』では彼の知的なところが発揮されていた。そう、海老蔵はは十二分に知的なのだ。そこにもうひとつ確信めいたものを感じられないのは、彼自身が自覚していないからだろう。それが彼の若さ(「稚さ」というべきか)だと思う。あまりにも恵まれた血筋に生まれ、その上あれほどの美形で、それがかえって自身の弱みとして自覚されているのではないだろうか。でも「アンファンテリブル」。このまだ型の定まっていない役者におそるべき可能性を感じてしまう。三島だったら、こういう役者、きっとおもしろがったに違いない。

三島自身がこの南北作品を演出したのが、この狂言復活の最初だった。昭和34年、35年のことである。桜姫を演じたのはもちろん六世歌右衛門。権助は先代幸四郎(白鸚)。いかにも三島好みの作品ではある。まるでよだれを流さんばかりに演出する三島のさまがみえるようだ。ただ白鸚の権助にはかなり不満が残ったのではないだろうか。それが今の海老蔵だったら、三島はさぞ喜んだだろう。そして桜姫には玉三郎を選んだのでは。南北の倒錯美を美として描出するのに、この二人ならいかにもしっくりくる。

福助の桜姫も悪くはなかったのだが、どこかパンチが効いていなかった。このお姫さま、おぼこさと悪女ぽっさとが同居しているんですよね。その二重人格性がないまぜになって出るのがいかにも南北の人物作りの妙味。福助はこの「悪」の部分が弱かった。ワルの権助と対等に渡り合えるところまで「成長」する女として描く必要があるわけで、それでこそ最後の大団円が生きてくるのだ。権助とふたりで布団の上でいちゃつく第四幕では、それなりに「ワル」的なところを出してはいたけれど。でももうひとつ説得力に欠けていた。演出でここをもう少しオーバーに、コミカルさを誇張すれば、その弱さが多少はカバーできたのではないかと思う。観客は滑稽さに十分反応するだけの用意がここではできているのだから、それに応えない手はないのだ。荒唐無稽な設定ではあるのだから、それを逆手にとって演出しないと南北の南北たるところが生きてこない。

三島以後は郡司正勝さんが補綴台本を作成していたようで、以下が(本公演もそれにならっている)そのプロットである。Wikiから拝借した。引用符に入れると容量オーバーなので地文のまま。
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発端 江の島稚児が淵の場
修行僧清玄は、稚児白菊丸と心中をはかるが、生き残ってしまう。
序幕第一場 新清水の場
十七年後に話は飛ぶ。吉田家の息女桜姫は美貌ながらも生まれつき左手が開かない障害を持っている。そこへ父と弟梅若丸が殺害され、家宝「都鳥の一巻」の盗難と不幸が重なり、悲しみのあまり世をはかなんで出家しようと、新清水(鎌倉の長谷寺)にやってきたのであった。おりしも居合わせた高僧清玄坊は、姫を不憫に思い念仏を唱えると、姫の左手が開き香箱が現れる。そこには「清玄」と書かれてあった。それを見た清玄は十七年前の事を思い出し、香箱は白菊丸の形見の品、すなわち姫こそ死んだ恋人の生まれ変わりであることを知り愕然とする。
皆が去った後、都鳥の一巻を狙う悪五郎は、姫の手が開いたことを知り仲間の釣鐘権助に縁組を求める艶書をことづける

第二場 桜谷草庵の場
出家の準備のため草庵にいる桜姫のもとに釣鐘権助が艶書をもって出家をとどまらせに来る。
権助は落とし噺を演じて姫や腰元たちを笑わせるうち、二の腕の釣鐘の刺青を見せてしまう。姫はとたんに態度を変え、腰元たちをさがらせて、権助に告白する。実は一年前屋敷に忍びこんで自分を強姦した男こそが権助なのであった。証拠が二の腕の釣鐘の刺青。姫はその時の快感が忘れられず、自身も二の腕に同じ刺青を彫っていた。「折助とお姫さま、とんだ夫婦だ。」と権助は姫に迫り二人はしっかと抱擁し愛を確かめ合う。
だが、役僧の残月に見とがめられ権助は逃走。悪五郎もかけつけ大騒ぎとなる。そして姫のもっていた件の香箱から相手は清玄と決めつけられるが、なぜか清玄は一切弁明せず従容と女犯の冤罪を認める

第二幕第一場 稲瀬川の場
処罰され追放された桜姫と清玄が互いの境遇を悲しんでいる。権助との間にできた不義の子を抱き桜姫は今後の不安を述べる。清玄は因果の恐ろしさに心から姫の力になることを誓い、夫婦になろうと迫る。当惑する姫。そこへ悪五郎が出て自分の館に拉致せんと双方争う。混乱の中桜姫は逃げ去る。

第二場 三囲土手の場
吉田家の忠臣粟津七郎と桜姫の弟松若が悪五郎一味と争ううち、悪五郎が天下の悪党忍の惣太と関係していることを知り、証拠の密書をめぐって争う。そのあと、清玄が赤子を抱い姫を探し求める。もはや姫への思いが断ちがたく狂気のようになっている。そこへ姫が現れ生き別れたわが子を探し求める。だが暗闇のため互いに確認できない。清玄が焚いた火でようように二人は近づくが突然のにわか雨で火は消え、二人は相手を知らぬまま別れてしまう。

第三幕 岩淵庵室の場
桜姫に恋焦がれるあまり清玄は病に倒れ、これまた女犯の罪で寺を追い出された残月と姫の腰元長浦が同棲する汚らしい庵室に体を横たえている。そこへ近在の鳶の頭有明の仙太郎の女房、葛飾のお十が死んだ子の回向に来る。鼻の下をのばす残月に嫉妬する長浦。二人が争う物音に桜姫の子が泣き、皆赤子の養育に頭を抱える。だがお十は侠気を見せて赤子を引き取り家に帰る。これであとくされがなくなったと残月と長浦は青トカゲの毒薬を清玄に無理やり飲ませようと殴り殺す。二人は墓掘りとなっていた権助を呼び墓を掘らせる。
そのあと人買いに連れてこられたのが桜姫。驚く残月であったがまたしても浮気の虫が動き出し姫に言い寄る。そこを外から覗いていた権助に見つかり残月と長浦は追い出され、桜姫は権助と再会を喜ぶ。積もる話も有らばこそ、権助は姫の身の振り方を決めようと小塚原の女郎屋に出かける。不安げに留守番をする桜姫。やがて雷雨となり落雷の衝撃で清玄が蘇生する。だが病み衰えさっきの毒が顔にかかり頬の焼けただれた醜い姿。恐怖のあまり立ちすくむ姫に清玄は真実を話し、ともに死のうと迫る。
争うはずみに清玄は自分が持っていた出刃包丁で喉を突いて死ぬ。そこへ権助が帰ってくるが、彼の顔も清玄と同じく頬がただれていた。

第四幕 山の宿町権助内の場
権助は大家となって裕福な暮らしをしているが、故あって自身の不義の子と知らず件の赤子を預かる羽目となる。そこへ桜姫が小塚原の女郎屋から戻ってくる。二の腕の刺青から、「風鈴お姫」の異名をとり人気者であったが、清玄の亡霊が執りついて大騒ぎとなり止むなく休業となったという。以下は布団の上でくつろぐ権助と桜姫。色っぽい場面。
権助は寄合に出かけ桜姫一人となる。そこへ清玄の亡霊が現れ、清玄と権助は実の兄弟であること。そばにいる赤子が稲瀬川で生き別れた子であることを告げる。
因果の恐ろしさに驚く桜姫。そこへ帰ってきた権助は酔いも手伝って、自分は盗賊の忍ぶの惣太であり、吉田家当主を殺害して都鳥の一巻を奪い、梅若丸をも殺害したことも白状する。以下は権助から話を聞き出す桜姫。
桜姫は仇の血を引いた赤子を殺し寝込んだ権助も殺害する。

大詰 三社祭礼の場
浅草寺雷門前、三社祭でにぎわう中、父と梅若丸の仇を討ち都鳥の一巻を奪い返した桜姫と松若、お十、七郎らが集まる大団円。
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南北らしいハイライトの見せ場はいくつもある。まず最初は序幕第二場の桜姫と権助の濡れ場。ここの海老蔵は秀逸だった。「よっ、色男!」と声をかけたくなるほどの水も滴る良い男だった。

第三幕にはいくつも見せ場がある。まずは清玄の幽霊。怪談の見せ場。清玄の恐ろしく変った顔が見せ所。ただ愛之助の清玄はここがもう一つイヤらしくなかった。この幕でのもう一つの見せ場が権助と今や最下層の女郎に身を落とし、女衒につれてこられた桜姫との再会、そして濡れ場である。さらなる見せ場は桜姫の我が子殺しという凄惨な場面として示される。

第三幕が終わる頃には南北の退廃にどっぷりと漬からされた観客は、「もうお腹いっぱい!」と感じているに違いない。固唾を呑んで桜姫、清玄、権助のもつれにもつれた関係をみてきた観客は、このあたりでそろそろ現実に戻りたいと思うのではないだろうか。最後の役者勢揃いでの口上で観客がホットしているのが感じられた。

もう一つ気づいたこと。この狂言は桜姫の輪廻転生を軸にして回っているのだが、三島は最後の四部作『豊饒の海』でその設定を使っている。もちろん南北後に多くの狂言作者がそれを使ってきているわけで、それ自体が南北作品の「輪廻転生」といえるのかもしれない。