yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

エフゲニ・ボジャノフ ピアノ演奏会@兵庫芸術文化センター6月2日

はじめは「あれっ」と思ったが、あとで感動の嵐に巻き込まれ、すっかりボジャノフ・ファンになってしまった!

久しぶりにピアノを生で聴きたいと思い、芸術文化センターのバレエ公演の折にチラシをみてチケットを購入したのだった。芸文センターの音楽監督、佐渡裕さんがベルリンフィルを指揮した折のピアニストで、彼のツアーにも参加していると知った。それでも若いということであまり期待していなかった。第一、佐渡さんが高く評価しているランランを私は好きではない。フィラデルフィアにいる頃にワシントンDCから来た知人がどうしても行きたいというので、しかたなく相伴したのだが、演奏は感心しなかった。けっこう良い席だったので、表情がよく見え、またその派手なパフォーマンスも間近でみて、余計に嫌になった。

ボジャノフもやはり佐渡さん好み(?)だけあって、演奏自体がとても派手である。でも、ランランとは明らかに違っていた。それはその派手な演奏がパフォーマンスとしてではなく、ある種の必然なのだろうと聴衆に感じさせるから。長い四肢、大きな手(今日も演奏者近くの席だったのでよく見えた)。それらを目一杯に使っての演奏で、ものすごいエネルギーが身体全体から迸り出ていた。大きな手を自在に操り、足で鍵盤だけでなく床をならすところなどは、アンドレ・ワッツを思いださせた。そういや、ワッツが彼に賞賛の辞を寄せているのを読んだ。ただ、ワッツの演奏の方がボジャノフのものよりもう少し内向的な感じがする。といってもワッツの演奏を聴いたのはずいぶん前で、それも一回きりだったから、今聴いたら違った印象を持つかもしれない。

演奏会でもらったプログラムに載っていた彼の略歴と紹介文は以下である。ついでに写真も載せておく。

1984年生まれ、28歳のブルガリア人ピアニスト、エフゲニ・ボジャノフは6歳でピアノを始め、12歳でラウス・シンフォニーと共演しデビュー。ゲオルク・フリードリヒ・シェンク教授と伝説的ピアニスト、ドミトリー・バシキーロフに師事。2008年カサグランデ国際ピアノコンクール(イタリア)で優勝、同年リヒター国際ピアノコンクール(ロシア)で最高位を受賞し、そのカリスマ的な演奏によって世界中の注目を浴びた。2009年ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール(アメリカ)において、地元紙は「絶対的コントロールと聴衆を催眠にかけてしまうかのような魅力を持ち、音楽家が一生かけても表現しきれないニュアンスをたった一小節の中に表現する」と評した。2010年エリザベート王妃国際ピアノコンクール(ベルギー)で第2位を獲得、「魔性を秘めた美意識の高さと独特の直感力を持つピアニスト」として話題をさらった。今世界で最も注目される若手ピアニストの一人である。
以下に演奏会サイトからの写真をお借りしておく。




どちらかというと、下の写真が今の実物に近いかも。

その他にも音楽好きのワルシャワの女性が彼をホロヴィッツ、ミケランジェリにつながる稀代のピアニストだと賞賛したという話も載っていたが、これはちょっと誤解を生むのではないかと思ってしまった。ホロヴィッツ、ミケランジェリ共に生では知らないけれど、CDは何枚も持っているので。ボジャノフとはまったく演奏の質がちがっている。ボジャノフに比べたら、彼らはずっと「古典的」だし、きちんと矩を守っている。もちろん、芸術的にも完成度ははるかに高い。

今日の曲目は以下である。

ショパン: 舟歌 嬰ヘ長調 op.60

ショパン: ピアノ・ソナタ 第3番 ロ短調 op.58


シューベルト: 12のドイツ舞曲(レントラー) D.790

ドビュッシー:  レントより遅く(ワルツ)

ドビュッシー:  喜びの島
スクリャービン: ワルツ 変イ長調 op.38

リスト  : メフィスト・ワルツ 第1番 「村の居酒屋での踊り」 s.514


この最初のショパンは最初の音を聴いた瞬間から、「えっ、これショパン?」と思わず呟いたほど、今まで聴いたショパンとはかけ離れていた。それは次のピアノソナタで、よりはっきりした。まず音の調整というかバランスが私には崩れているように思えた。強調するはずのないところでやたらと強調し、ピアニッシモはそれほど目立たずといった感じで、その上ペダルを使い過ぎだった。ショパンでは右に出るものはない(と私が確信している)ポリーニの演奏、あるいは端正なエッシェンバッハの演奏とどうしても比べてしまう。まるでカーニバルに連れてこられたような錯覚に陥った。「どこをどうしたらこういう解釈になるの?」と、なかばあきれて聴いていた。でもランランのときのように、厭な気にはならない。聴き手をどこかおもしろがらせるようなそういう茶目っ気を感じる演奏なのである。カーニバルに参加するように促されている気がするのだ。で、途中から抵抗するのを止めて、私もそのオージーに加わることにした。

二部の方は徹底してワルツだったが、それは彼自身の演奏の質を彼自身がよく分かっているからだろう。そのワルツも貴族が舞踏会で踊るような品の良いものではなく、どこか村のお祭り騒ぎのような趣があった。だから、最後の「メフィスト・ワルツ 第1番 『村の居酒屋での踊り』」なんてのは、まさに彼の真骨頂である。緩急自在に、のびのびと、これ以上ないほど生き生きと演奏していた。

そしてこの二部であらためて分ったのは、とてつもないパワーを裏打ちする、超絶的技巧を彼がもっていることだった。それもその超絶技巧でもってエネルギーをコントロールするというのではなく、むしろそれを放出させるのに使っているのである。ここにこの人の計り知れない可能性を感じた。これでコントロールをより巧くするようになれば、歴代ピアニストのトップリストに名を連ねるのは間違いないだろう。

そしてなんと!いちばんの「もうけもの」はアンコールだった。プログラムにある曲目はいちおうそれなりに(彼なりに)矩の中での演奏を意図していたのだろうが、アンコールは「付け足しだもの。ぼく、好きに弾いちゃうもんね」といわんばかりに、それこそ好き放題(!)の解釈、演奏を繰り広げてみせた。曲は以下の3曲だった。

ショパン 「華麗なる大円舞曲」 (訂正のコメントをいただきました。)
シューベルト セレナーデ
ショパン 英雄ポロネーズ Chopin Polonaise Op.53

どれにも度肝をぬかれたけれど、特に「華麗なる大円舞曲」には唖然呆然だった。ものすごーいスピード、超高速で怒濤が押し寄せるごとくの演奏だった。もちろん今までに聴いたことのないバージョンだった。ここまで換骨奪胎したら、ショパンも草葉の陰でさぞ苦笑していることだろう。

と思ったら、「セレナーデ」は思いっきりロマンティックで、センチメンタルになるぎりぎりまで行くエモーショナルな演奏だった。のめりこんで、まるで夢心地の体で弾いているボジャノフの姿、「やっぱり若い!」と思わずつぶやいてしまった。

そして最後はかの「英雄ポロネーズ」。実は私がショパンを好きになったきっかけの曲である。もちろんポリーニの演奏だった。ボジャノフはこの繊細な曲をまるで、まさに戦争のバトルのように弾いてみせた。これにも口があんぐりだったけど、途中から「これもありかも」と思わせられたのは、やはり技術が確かな上、彼のそのパワーのシャワーを浴びたからだろう。ピアノのすばらしい演奏を聴くと「魂が洗われる」気がするけれど、ボジャノフの演奏はそういう静謐な気分にはさせてくれなくて、むしろ挑発され奮い立たせられるのだ。そこにハマってしまえば、もう完全に彼の虜になっている。