yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

オランダ・バッハ協会 『ロ短調ミサ』@兵庫芸術文化センターKOBELCOホール、12月10日

ずっと楽しみにしてきたオランダ・バッハ協会の『ロ短調ミサ』、やっと見る(聴く)ことができた。期待通りの演奏だった。以下の陣営である。

指揮:ヨス・ファン・フェルトホーヴェン
ソプラノ1:ドロテー・ミールズ
ソプラノ2:ヨハネッテ・ゾマー
アルト:マルゴット・ネイツィンガー
テノール:チャールズ・ダニエルズ
バス:ピーター・ハーヴェイ

トップの「キリエ」が始まった途端、感動の嵐が押し寄せて来た。なんというピュアさ、明快さ。それでいてしっかりと芯が通っている。

『ロ短調ミサ』はカール・リヒターのものしか知らないので、どうしてもその重厚さと比べてしまう。リヒターのは有無をいわせない「荘厳さ」で聴き手に迫ってくるのだが、バッハ協会のはそれとはまったく違った「路線」を採っているいるのが分った。もちろんコーラス、オケの規模も一回り小さいし、楽器も古楽器だということも影響しているだろう。あえてこういう路線を採るというのは、その小さい規模でしか実現しない何かを追求しているからとしか思えない。

どういったらいいのか、テクスチャーのレベルで親近感がわくのだ。それは『単純」、とか「親しみやすい」ということではない。どちらかというと「素朴」に近いかもしれない。その素朴さが逆にしみじみと聴き手の根源に食い入ってくる。それまでに聴いたバッハ、あるいは聖歌の澄明な音の総和を聴いているような感じがする。それは神へと向かう素朴な、そして純な信仰の発露でもある。そういう音を聴いた。中学生になって礼拝(ミッションスクールだったので毎朝礼拝があった)でのオルガンに合わせた合唱を、それを初めて聴いたときの感動を思いだしてしまった。6年間中学・高校と過ごした中で、私自身の中に否応なく植え付けられた、あえていうなら「キリスト教的美学」といったものを、改めて思った。

ドロテー・ミールズさんの声は英語でいうなら"soothing" である。豊かだけれど、決して押し付けがましくない。そういえばこのソリスト全員に共通していたのはその「押し付けがましさのなさ』だった。オペラ歌手とは一線を画していた。ヨハネッテ・ゾマーさんとの掛け合いも二人がそれぞれの個性をぶつけあうというより、むしろ互いに譲り合っているような歌い方だった。それがこの曲の雰囲気に合っていた。

私が一番ステキだと思ったのはアルトのマルゴット・ネイツィンガーさんのアリアだった。深く沈静的で、それでいて華やかなのだ。まさにバッハにうってつけの歌手だ。

テノールのチャールズ・ダニエルズさんもその外見とは違ってとても迫力のある歌声だった。ピーター・ハーヴェイさんのアリアはとても説得力があった。『マタイ受難曲』の福音史家をうたうのにぴったりだと思った。この男性お二人とも、バッハの受難曲で聴いてみたいと思った。

以下は芸術文化センターを出たところのモニュメントとクリスマス用イリュミネーションである。右手に映っているのがセンター。