yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

山鹿の千人灯籠まつりと「よへほ節」

八千代座の玉三郎舞踊公演まで時間があったので、「山鹿灯籠民芸館」で山鹿灯籠に立ち寄った。この公演のちらしに灯籠を被った玉三郎さんの写真がある。

とてつもなく重そうにみえるけれど、紙細工で軽いそうである。紙に糊で金箔を貼っている。この民芸館でも実演をみることができた。「灯籠師」とよばれる製作者には十数年という修行期間が必要とのことである。民芸館では、灯籠師、中島清さん製作によるの日本の主要な建築物が展示されている。

「山鹿灯籠まつり」の踊り手の冠として使われるこの灯籠、もとはもちろん地元の神社、大宮神社へ奉納するものだったのがWikiに出ている。

熊本県山鹿市、山鹿温泉にある大宮神社の祭りであり、その諸行事は毎年8月15日から17日にかけて行われている。民謡「よへほ節」のメロディーにのって、浴衣姿の女性が、金・銀の紙だけで作られた金灯籠(かなとうろう)を頭にのせ、市内を踊り歩く。熊本市の藤崎八旛宮の秋季例大祭、八代市の八代神社の妙見祭とならび、熊本県を代表する年中行事のひとつとして数えられている。

民芸館では、2002年8月16日の祭り当日にNHK BSで中継された「千人灯籠まつり」が録画放送されていたので、まるごと1時間観てしまった。文字通り灯籠(中にペンライトが入っている)を頭に被った千人の踊り手を動員しての灯籠まつりは圧巻だった。保存会の踊り手さんたちは生え抜きで、彼女たちだけが櫓の回りを踊ることができる。他の踊り手たちは毎年公募されるようで、それでも稽古をつまないと出してはもらえないようである。「よへほ節」に合わせて踊るその独特の「手」は易しそうにみえても複雑なのだと、この中継放送のゲストをしていた藤山直美さんがいっていた。しばらくは「よへほ節」の節が耳から離れなかった。ちなみに「よへほ節」の歴史はそれほど古くはなく明治のもので、もとは座敷歌だったのを野口雨情が今の歌詞に改作したと、解説があった。

「千人灯籠踊り」の様子が動画で出ているサイトをリンクしておく。

玉三郎さんの公演でも2幕目の最初に、60人の灯籠を被った女性たちとの競演があった。暗い小屋空間でのこの踊り、とてもきれいだったのだけれど、玉三郎さんの舞踊の質といささか齟齬があった観は否めなかった。同じ手でも玉三郎さんの踊りの「手」は人まねできないレベルの高さなので、その落差にいやでも気づいてしまう。灯籠祭の踊りは舞踊というよりも民衆の「盆踊り」なので、余計なものを削ぎおとしたきわめてストイックな玉三郎さんの舞踊とは世界が違っていた。でもこういう試みに、玉三郎さんの人間としてのある種の円熟、異質なものへの寛容が窺えもした。