yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

光森忠勝著『市川猿之助、傾き一代』新潮社 2010年

17日、ホテルをチェックアウトしてから新橋演舞場の歌舞伎公演昼の部までに時間があったので、銀座の教文館書店に立ち寄った。ずっと以前、歌舞伎座に通い始めた頃、キリスト関係の出版社兼書店の教文館が銀座ど真ん中にあるのに驚いたものだけど、毎度立ち寄っているうちに書店としての方針がはっきりしていることも分かってきた。キリスト教関連の本に特化しているというのではなく、歌舞伎座が近いこともあって芸能関係の本を目につくところにおいているので、ときどき買い求めていた。で、この日も3階入り口に置いてあった本を手にとってみたのだが、最初に開いたページの文章に釘づけになった。他を読まずともこの本に私の必要としている情報が入っているのが明らかだったので、ためらうことなく買った。

市川猿之助傾き一代

市川猿之助傾き一代

釘づけになった箇所は以下である。

猿之助は、歌舞伎四百年の歴史を見据えて、伝統を考えている。先人の型を真似る伝承のあり方は、歌舞伎の俳優修行には欠かせない基本であり、優れた学習法だと認めているけれど、いくら名優の型とはいえ、それに歌舞伎の伝統が漏らさず収まっているわけではないと、猿之助歌舞伎の看板を掲げたのである。型は応用力をつけるために一度は通り過ぎなければならない基礎訓練の関所という意識が強い。むしろ型を真似るだけでは芸の力が細ってゆくとさえ語っている。猿之助は口にこそしてないが、昭和五十年代までの歌舞伎がいまひとつ盛り上がらなかった理由がそこにあると思っていたのではないか。
 この問題意識は伝統文化に対する現代人が抱える共通の課題である。

こういう猿之助の伝統の解釈というのは、たとえば坂口安吾が『日本文化私観』の中で展開してみせた伝統論と通底するものである。猿之助は歌舞伎をその始源から常に時代の息吹に反応し、それを吸収し深化させてきたのだと考えている。その過程で新作、新演出が生まれてくるのは必然なのである。

江戸歌舞伎の型がどうだったのかは舞台が生き物である以上正確には分からない。猿之助は残された文献や主流から外れていた役者を尋ねてそれを発掘、「今まで切り捨てられていた江戸歌舞伎の演出、美意識を復活した」のだと光森氏はいう。江戸歌舞伎がもともと持っていた、それゆえに観客を熱狂させていた演出法を舞台に再現出させたいと考えたのだという。それは、明治以降にできたいわゆる新歌舞伎が排除してきた歌(音楽)、舞(踊り)の入った、そして娯楽性に富んだ、また五感に訴えるケレン演出などを取り入れた歌舞伎を志向することを意味した。ただそういう新しい試みに対して、古い伝統概念に立脚する長老役者たちは批判的だった。だからかなり厳しい闘いを強いられることになったのである。

そうなんですよね。もし歌舞伎が能のように古来からある型を崩すことができないのなら、過去の遺物、博物館行きにいずれなることは明白である。芸能というのはどんなものでも客が歓迎しての芸能だから。私自身も今まで考えていた歌舞伎に対する考えを改め、修正せざるを得なくなった。現在主流の歌舞伎論はいわゆる菊/吉コンビ(六代目菊五郎と初代吉右衛門)を「神格化」する傾向がある。彼らの芸をものさしにし、その思想が絶対だとする傾向がある。その点では三島由紀夫も同じだった。もっとも彼は六代目を高くは評価してはいなかったけれど。でも菊/吉に私淑していた六世歌右衛門は彼の「師匠」だったわけで、それでゆくとケレンなどは邪道だと考えたであろうから。つまり歌舞伎を芸術の域に封じ込めて、観客の好み、時代の風潮を超えたものとして捉えていたのだ。

さきほどテレビで日本料理の若い板前さんが出てきて、「伝統は革新の連続」だと断言していた。そう、歌舞伎における伝統もそうであるはず、そうでなければおかしい。歌舞伎は近代になると西洋リアリズムの影響を受けて「型」を洗い直し、当時の風潮に沿わせた。とはいうものの、歌舞伎本来の変幻自在、融通無碍といった性格は、新しい風潮を取り入れた新しい型(演出)を創りだしてきたのだと光森氏は断言する。猿之助はそういう創造精神を「型破りの創造」と呼んでいるという。「日本の伝統文化や古典芸能の歴史に突如光芒を放ち、斯 界を震撼させる創造は、まず「型」があって、その『型』を破って新しく創り替える『型破りの創造』だった」と理解しているのだという。芸能は神棚にかざっておくものではない。本来大衆から出たそして大衆のためのものである以上、時代時代の大衆の嗜好に合わせて変わるのは必定である。それは前にあった伝統を破壊するというのではなく、新しい要素を組み入れて、新たに甦らせることである。

猿之助が試みてきた挑戦がいくつも実例を挙げて紹介されている。その実例の一つ一つがめっぽうおもしろい。読んでいるうちに自然と猿之助のさまざまな挑戦に心を沿わせ、ワクワクし、そして感動する自分を発見する。

なかでもスーパー歌舞伎のきっかけになった梅原猛の著書、『地獄の思想』、『隠された十字架』への猿之助の思い入れが興味深かった。私も一時期この二つの著書と『水底の歌』に夢中になったから。法隆寺には何度も出かけたものである。猿之助のすごいところは実際に梅原の著書を芝居という形にしたことである。猿之助に共感し書いたことのない芝居脚本(それも電話帳厚さの)を書き上げた梅原もすごい。二つの天才の出会いだったのだろう。

猿之助が育て上げた人たち(二十一世紀歌舞伎組)の舞台をみて、また甥の亀治郎さんの舞台をみて、猿之助がこういう人たちを育て上げたことにも感服している。だから機会があれば、つねに新しく変化しているスーパー歌舞伎をぜひともみてみたい。