yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『御摂勧進帳』in 九月松竹大歌舞伎@新歌舞伎座9月26日千秋楽

今月、松竹座、新歌舞伎座と二カ所で歌舞伎公演を観て、感銘を受けたことがあった。それはいままでは「排除」されていた新しいトレンドが、歌舞伎に定着しつつあることだった。もちろん昔ながらの旧いタイプのものも健在だけれど、それに寄り添うように新しい潮流が起きていた。今月の大阪での歌舞伎公演はそういう新しい流れを披露するためだったのではと、勘ぐってしまうほどだった。松竹座での公演は全部観たが、光っていたのは澤瀉屋の面々で、右近を筆頭に笑也、笑三郎、猿弥、そして春猿は生き生きとしていて、歌舞伎のスタティックなイメージを打ち破っていた。

ここで新しいニュースが入ってきた。亀治郎さんが四代目猿之助を襲名するそうである。すごい!そして改めて当代の猿之助がいかに冷静かつ明晰な人かが分かった。亀治郎さんの舞台は残念ながらみたことがなかったので、昨夜、「芸術祭十月花形歌舞伎」を予約したところだった。10月16、17日とで全公演をみようと考えて宿もとったのだが、このニュースの後では公演すべての席はすぐに埋まっていただろうから(それでなくても三等、二等席はほぼ完売だった)、滑り込みセーフだった。

新歌舞伎座での公演も勘三郎を中心に扇雀、橋之助がいままでみたことのない新しい側面をみせてくれた。新境地を拓いたといってもいいかもしれない。勘三郎がいろいろ新しい工夫に挑戦してきたことは知っていたが、「ニューヨーク歌舞伎」にかなりがっかりしたので、それ以来敬遠していた。でもこれだって勇気のある試みではあったわけである。私はその「雑味」がいやだったのだけれど、それも新トレンドを創りだす上では避けては通れないものなのだと、今になると納得できる。勘三郎の「ムボウな」試みは『平家女護島』(現在の鹿児島県の硫黄島)の舞台公演となるようである。これもすごい!

そしてやっとこさこの記事のタイトルの『御摂勧進帳』であるが、こんな「勧進帳」、初めてみた。それも当然で、昭和33年の初演から今回がわずか9回目である。そして弁慶の演者(この人がこの演目を仕切るから)をみて、またもや納得。段四郎、松緑、富十郎、右近、そして今回の橋之助である。旧い歌舞伎からみると異端児的な役者たちが顔をそろえている。

舞台がはじまったとたんに目が点になった。松葉目物歌舞伎の印象はどこへやら、「いったいこれが『勧進帳』?」とおもわずプログラムを再確認したほどである。ついで弁慶の出立ちにも度肝を抜かれ、先日松竹座でみた『勧進帳』とのあまりの違いに頭が混乱してしまうほどだった。とにかく楽しさ全開の舞台で、ところどころに観客を喜ばせるアドリブもあった。大衆演劇っぽい「勧進帳」で、そこにこれを選んだ勘三郎、橋之助の並々ならない意気込みをみた。