yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『人情噺文七元結』in 九月松竹大歌舞伎@大阪新歌舞伎座9月26日千秋楽

この歌舞伎公演は新歌舞伎座開場1周年記念公演とのことで、中村屋を中心に成駒屋、音羽屋、松嶋屋が協力した公演である。それに加えて、中村勘三郎の病の平癒公演でもある。

千秋楽は昼公演のみなので、私が観たのは『御摂勧進帳』、『男女道成寺』、それにこの『文七元結』である。最初の2演目については後日に譲って、今日は『文七元結』について書きたい。

この演目は大衆演劇の2劇団でも観たが、今日の中村屋のものがいちばんだった。歌舞伎がいろいろな点で大衆演劇よりもはるかに恵まれている。それを生かしきれないと、困難な条件で舞台をやらざるを得ない大衆演劇に恥ずかしい。ここしばらく歌舞伎に失望することが多かったので、今回もその例にもれないのかという予測は外れた。歌舞伎の恵まれた条件を生かした舞台になっていた。私が最初に南座で観た勘三郎(当時は勘九郎)が戻ってきたかのような感があった。数年前、彼のニューヨーク凱旋公演の『夏祭浪花鑑』を観たとき、がっかりした。新しい試みはいいのだが、どこか外国の(彼が考えている)観客の好みに合わせようとするオモネリがあった。そしてそれは彼自身の「奢り」のようなものからきていると思えて、それ以来中村屋は観ていなかった。だから今日のこれはうれしい誤算だった。

まだ声が本調子ではなかったけれど、さすが勘三郎と思わせたのは絶妙の間だった。それは会話のときにもっとも顕著で、これ以上効果的につぼにはめるのは無理と思わせるほどのおかしさだった。女房の扇雀も勘三郎と息のあったキャッチボールをしていて、アドリブ連発だったようである。これはアンコールに応えて出てきた勘三郎が証していた。二人がノリに乗って喧嘩をするので、観客にもそのおかしさが伝染、劇場中が盛り上がっていた。こんな楽しい口喧嘩ならずっとみていたい、きいていたいと思わせるほどだった。

扇雀が根っからの「上方役者」であると分かった。お兄さまの翫雀は昨日まで松竹座に出ていたので、兄弟別れての奮闘公演だったわけである。翫雀よりもむしろ扇雀の方が上方の芸を自然体で演じることができる役者ではないかと思う。これは驚きだった。東京育ちで大学も慶応だから、なにかにつけ「コテコテ」の大阪とは縁遠い人だと勝手に思い込んでいたから。

勘三郎が大阪風「コテコテ」が好きなのは彼が勘九郎のころから知っているので驚かない。この二人が夫婦役だから、楽しくないはずがない。

観客も大喜び。これは今までの私の歌舞伎観劇歴史中一度もなかった「アンコール」を経験することになった。主演者全員が舞台に勢揃い、勘三郎が自身の「病気平癒についてのコメント」を入れた挨拶をした。これも従来のお高くとまっていた歌舞伎にはないことで、観客もそのサービスに盛大な拍手、かけ声で応えていた。とても盛り上がった楽しい千秋楽になった。

以下が勘三郎の左官長兵衛と扇雀の女房お兼 (『番附』から)

最後の場面。長兵衛のおんぼろ長屋に長兵衛、お兼、彼が情けをかけて50両恵んだ手代文七とその主人、そして吉原から身請けされて帰ってきた長兵衛の娘、お久、長屋の大家、吉原の使いのものが勢揃いしたところ。幕が閉まって、アンコールでもこの場面そのままでの挨拶だった。