yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『十二夜』(Twelfth Night) @Suzanne Roberts Theatre, Philadelphia 9月3日

昨日からプレヴューが始まり約2週間の公演となる。公演はPig Iron Theatre Company という劇団の主催であるが、演じる役者は劇団所属の人ばかりではなく、いろいろなところからの寄せ集めの人たちであるのがパンフレットから分かった。

このパンフレットで初めて知ったのが、この公演を含めて9月2日から17日にかけてフィラデルフィアで上演される演劇の多くが "Live Arts Festival" という「ライヴ芸術祭」の一環であることだった。昨日みた”How to Disappear Completely and Never be Found” もその一つだったことをようやく理解した。芸術祭参加のプログラムの入場料は一律20ドルで、破格に安い。

シェイクスピアの連続上演もこの芸術祭が始まった1997年から続けられているようで、いわゆる「フリンジ」の劇団、劇場としては意欲的な試みだといえる。それも「現代劇」風にプロダクションをやりかえたもので、その点でも新しい挑戦である。日本に読み替えれば能を現代劇に直すということだから。

今年の演目が『十二夜』だったのは私にとって二重にラッキーだった。というのもとにかく楽しいお芝居だったから。今までにみた『十二夜』中でもっとも楽しかった。

今まで観たものとの一番大きな違いは「楽団」をギリシア悲劇のコロスのように使っていた点である。合奏のみで合唱はなかったのだが、楽団員6人の演奏、そしてその思い入れたっぷりの様子が表現力豊かでまるでバックコーラスのような働きをしていた。辻音楽師の演奏を想像していただければいい。この楽団、要所要所に登場、場を盛り上げたり、下げたりする。登場人物との「かけあい」も楽しくて、演劇黎明期の舞台での楽団のあり方を彷彿させるものでもあった。

喜劇であることをより強調しながらも、スラプスティックスになるすれすれのところで踏みとどまるという芸当も大したものだった。例のマルヴォーリオとマライア、トビー卿、アンドリューとの絡みの部分はもちろんのこと、その他も脚本からは想像できない部分までおかしさを増幅させるお手並みにも感心した。

舞台装置もシンプルながら非常によく練られたもので、バルコニーの使い方、小道具への配慮、どれもがきめ細かかった。とくに舞台下手の上にあるバルコニーと上手の階段は非常に有効に使われていた。おなじ装置でジャン・ジュネの『バルコン』を演じて欲しいと思った。あまりにもはまっていたから。

役者の発声についてはどうしても本場英国のシェイクスピア役者と比べてしまうので、百点満点とは行かない。でもこれもシェイクスピアがイギリス英語で語られるのを前提にしているという点を考慮すべきだろう。アメリカ英語になると韻を踏むときに、なにがしかの違和感が生じる。これは日本語に翻訳して演じられるシェイクスピアを含む翻訳劇にもいえることである。だからそのままで比較するのはフェアでないかもしれない。

ともあれ、フィラデルフィアでここまでのレベルのシェイクスピアが見れるとは思ていなかったので、非常に得をした気分である。中規模劇場で、120人ほどの観客数は始まって3日目にしては悪くないだろう。観客層のレベルも昨日と同じく、きわめて高かった。