yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

映画『The Hedgedog』(仏2009)@Ritz 5劇場、フィラデルフィア 8月31日

MacAirを持ってきたのだが、日付時間を合わせていなかったので、今あわてて合わせた。普段使っていないとこうなる。このあと、この記事を最後まで書いたところでフリーズ、結局最初からこれを書き直す羽目になった!それで1時間以上ムダにしてしまった。というわけでこの記事に付いている時刻はもとのままであり、アメリカ東部時間ではない。

でもiPhone4 は何もしなくてもきちんと合っていた。さすが、かしこい!

今日はお芝居がないので映画をみてきた。日本では未公開のものが良いと思ったので、このHedgedog にしたのだが、果たしてどうだったのだろう。地味な映画だが、日本と関係の深い映画でもある。"hedgedog" とは「はりねずみ」のこと。

フランス映画で英語字幕付きだった。監督はMona Achache、主人公の11歳の少女Palomaを演じたのは Garance Le Guillermic、高級アパートの門番兼管理人54歳のRenee Michel を演じたのは Josiane Balasko、アパートに引っ越してきた中年の Kakuro OzuをTogo Igawaという配役だった。この三人は出逢った瞬間から、互いの孤独を察し、心の友となる。タイトルは日本語では「はりねずみ」で、彼らの様態をよく示している。

パロマは感受性の鋭い頭のよい少女だが、プチブルの空虚な家庭——精神分析療法を受けている母親、自己中心の姉、そして無関心の父——の中で浮いていて、唯一の慰めが自分の「死の準備」に父のお下がりのビデオカメラで日常を撮影することである。彼女は死の妄想にとりつかれ、母親の精神安定剤をこっそりと集めて、自殺に使おうと準備している。

ルネは27年間もアパートの管理人をしているが、アパートの住人誰一人として彼女を「人」として見てはいない中、猫を相棒に黙々と日々の仕事をこなしている。彼女の唯一の楽しみは二部屋あるうちの一つの部屋を書斎(図書室)にして、そこで読書三昧に耽ることである。

カクロウは前のアパートの住人が亡くなったので、その後を買って移ってきた。裕福で部屋を和風に改装、そこに優雅に一人で住む。その趣味から彼がなみなみならない教養人だと分かる。

カクロウが管理人のルネのところに挨拶に来たおりにルネが口にした言葉、「幸せな家庭は似てます」に彼が、「『幸福な家庭の顔はお互似通っているが、不幸な家庭の顔はどれもこれも違っている』(トルストイ、『アンナ・カレーニナ』)ですか」と応えたことから、相手が文学に造詣が深いことを察する。そのあと彼はルネに『アンナ・カレーニナ』を贈る。以来、彼はルネにますます興味をもち、自宅に招待して手料理をふるまう。そのとき、ルネも日本映画が好きであることが分かり、次に彼女が彼を訪問したときに二人で『宗方姉妹』を一緒に鑑賞する。カクロウのアパートは試写室完備で、劇中劇の形で『宗方姉妹』での田中絹代、高峰秀子が並んだ最後の場面が大写しになった。監督はもちろん小津安二郎。ルネも小津ファンのようで、カクロウに親戚かどうかを聞いている。

ルネは夫が13年前に他界してからは女を捨てて(放棄して)生活してきたので、カクロウの彼女への関心が面映い。困ったと思いながらも、ウキウキしてしまう。カクロウは今度は彼女を日本料理店へ招待するが、その前に彼女にコート、ハンドバッグ、そして靴までも届けている。二人はすっかり打ち解けるようになってゆく。

それをそばでみているパロマもうれしげである。この二人だけが彼女の奇怪さ、孤独を理解し、受け止めてくれる大人だから。

しかし、幸せなときは長くは続かない。二人が食事に行って間もなくのある日、ルネは通りで踊る知り合いのホームレスを助けようとして、自身が自動車に挽かれ、亡くなる。嘆き悲しむパロマ。彼女がルネの部屋に行くとカクロウが本を段ボール箱につめこんでいた。そして別にとってあった『アンナ・カレーニナ』をパロマに差し出す。ルネの形見として。

視点はパロマにあって、彼女の目(ビデオカメラ)から大人たちの生態を暴きだすという形式をとっている。彼女がもう一つの「目」でルネとカクロウの「純愛」を淡々と見届け、それを記録として残すというのは、そしてその目に映る純愛を描くのに「もの」(小津ならさしずめ「赤いやかん」、ここではガラスのジャー、コップ)にして語らしめるというのも、まさに小津の手法の踏襲である。

小津のアリュージョンはいたるところに散りばめられていて、まるで映画そのものが小津ワールドの様相を呈している。もっとも印象的だったのが、パロマが黒絵の具をつかって描く「絵」で、これを何枚も重ね合わせ、パラパラとめくることで動画にしているのだ。彼女はまた秘密の書斎に籠るルネのポップアップ絵も創作している。これらの絵はまさしく小津の絵コンテそのものである。また動画にするというのはパロマが小津になってこの映画を「監督」していることを暗示しているのだろう。

また、小津のみならず、この監督の日本文学趣味はルネが読んでいた谷崎潤一郎の『陰翳礼賛』にまで及んでいる。この本には驚いた!やっぱりフランス人。アメリカ人で「陰翳」に美のエッセンスがあると思う人はほとんどいないだろうから。

そういう監督の映画だから、陰翳に寄り添ってしまう人間同士——それはまさに世界、性別、ナショナリティを超えているが——の共感、連帯を描いたのだろう。

カクロウ・オズを演じた伊川東吾さんは1946年生まれ、現在イギリス在住だが国際的に活動しておられるようである。黒テント出身だそうである。

ルネを演じたJosiane Balaskoさんはフランスでは有名な女優/監督だそうである。写真も見れる