yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

小西甚一著『梁塵秘抄考』(三省堂、昭和16年)

古書ネットで手に入れた。入手するのが難しいと覚悟していたので、あまりにもあっさりと手許に届いたのがいまだに信じられない。当時「八圓」だったようである。

昭和16年発行なので、もちろん「いかにも」というくらい「古い」。本そのものに痛みはまったくないが、なにしろ当時の紙不足を推察させるほど質の悪い紙である。だから劣化も激しく、茶色く変色してしまっている。もっと「古さ」を感じるのが旧仮名遣いであることだ。また文体も仮名遣いにあわせた漢文調のもので、非常に格式が高い。というかもう今の私たちにとっては「古文」の域である。

でも読み始めると、そういうもろもろの「古さ」が感じられなくなる。特に文体は流麗でリズミカルである。研究書であることを忘れるほど滑らかで、すーっと頭に入ってくる。と、言いたいのだが、情けないことに漢文、漢語の素養がないので、つまずくことも多々ある。

ここではたと気づいた。小西甚一さんはプリンストン大学に研究者として在籍していたこともあり、英語も堪能だったというが、それは漢籍に通じておられたからではないのか。漢文の文章は英語と同じく、きわめて論理的である。英語との違いは主語が明示されない点だろうが、それで論理性がゆらぐわけではない。ここが日本語のある種の曖昧さとは決定的に違う点だろう。そういえば夏目漱石も漢籍の造詣が深く、英語にも長けていた。彼の書いた英文を読んで驚嘆したことがある。今の日本人(研究者)の書く英語とは比較できないほど、秀逸なものだった。

この書物は、今様が白拍子、傀儡といった芸能者が介在して、発展、進化していった経緯をおどろくべき精密さで辿っている。平安時代に発生したのが、鎌倉期に延年、曲舞(くせまい)を経て、やがては能楽になっていったというのが小西甚一さんの論の中心になっている。そういえば『勧進帳』で弁慶が踊るのは「延年舞」といった。後白河が生涯、全霊をかけて確立しようとした今様という芸能の形は、彼の強い意志が乗り移ったかのごとく発展し、今日も姿こそ変わったけれど、したたかに生き残っているのだ。

『梁塵秘抄』に収集された今様のめぼしいものを小西さんが解説してゆくのだが、それを読むといつのまにか中に引き込まれる。というのも今様の歌謡のひとつひとつがまるで口語のような近さ、親しみやすさだから。

例えば、「仏は常にいませども、現ならぬぞあわれなる、人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見えたまふ」とか、「遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん、子供の聲きけば、我が身さへこそゆるがるれ」とかいった歌は、およそ『古今集』やら『新古今集』やらに収められている歌とは違い、どこか庶民的で親しみやすい。また用語もきわめて日常的なものである。現在聴いても魅力的だから、当時はさぞ画期的な歌謡だったと推察できる。

というわけで、これから当分はこの本の今様に馴染んでみようと思う。