yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

HAJIME RESTAURANT GASTRONOMIQUE OSAKA JAPON(ハジメ・レストラン)ーー哲学する料理

30日はサンフランシスコから来た友人と、久々のフレンチの会食だった。サンフランシスコの大学で映画論を教えている人で、高校からアメリカなのでアメリカ生活の方が日本で育った年数の倍にもなる。ゲイのパートナーとサンフランシスコの高級住宅地でグルメ三昧の日々(?)を送っている。日本の家族に会いに年に一度帰国しているのだが、その都度会って、ごはんを食べながら悩みごとなどを話している。去年はミシュランの一つ星の懐石料理店で会食した。今年は彼のたっての希望で「HAJIME レストラン」、つまり、ミシュランガイド三ツ星レストランHAJIME RESTAURANT GASTRONOMIQUE OSAKA JAPONになったとういわけである。

予約は私がすることになったのだが、電話がつながらない。結局二日がかりでやっと予約をとることができた。なんでも何ヶ月先まで予約でいっぱいで、2ヶ月前でとれたのはラッキーだったとのことだった。

私はいわゆる「グルメ」ではないし、こういうことで大騒ぎするのにはいささかうんざりなのだが、「一年に一度のことだしグルメの彼のいうことだからまあいいか」、というくらいの軽い気持ちでレストランに出向いた。ミシュランの和食部門の料亭や割烹、蕎麦屋のいくつかはミシュランの評価が出る前に行ったことがあり、たしかに悪くはないけどそのレベルなら他にもあるというものだった。京都、大阪、神戸の料理のレベルは世界最高峰なのは間違いないと思う。関西育ちの私など、アメリカの食文化のあまりもの大雑把さになんどがっかりしたことか。ヨーロッパだって同じようなもので、大阪の食程度のものにありつこうと思えば、予算を桁外れにあげざるをえない。大阪の食はそのレベルの高さのわりには「安い」のだ。

あとで調べたら、HAJIME は2年連続で三ツ星をとっていて、しかもフレンチではここだけである。結論からいうと、その評価以上のレベルの高い料理だった。いや、料理というのは適当でないかもしれない。「芸術品をいただいた」という感慨をもった。これは、日本の外のレストランも含めて、「プラスに期待を裏切られた」今までで唯一の例である。

いろいろな方々がブログでそのコースの内容を美しい写真入りで詳しく紹介しているので、それを説明するのは割愛する。でもそれだけだとそのすごさが伝わらないかもしれない。かくいう私もそれらの写真をみた時は「他とどう違うの」と、大して感銘を受けなかった。やっぱり、その場に出向き、まるで黒子のような(というか禅僧のような)ウェイターのサービスを受けながら、シェフの渾身闘いの成果である料理を味わって初めて、納得できると思う。

料理が運ばれてくるたびに、シェフからのメッセージを強く感じた。と同時に彼からの挑戦を受けている感じもした。ひとくち、ひとくち、食材がおりなすハーモニー、そしてある種の不協和音を感じ取るようにと、そしてそれが何を意味するのかを考えるよう促されている気がした。単に栄養として食材をみるのではなく、それが育ってきた環境、作った人間、そしてそれを料理する料理人の強い意志を汲み取るように促されている気がした。供された料理と対話をしているように感じたのは初めての経験だった。会食の相手も良かった。お互いに感想をいいながら、たしかめながら、味わうことができた。舌だけでなく、頭を使って食しているという感じが強くした。また、それをシェフが私たちに求めているような気がした。

そして供される料理!シンプルだとおもったら豊潤で、豊潤だとおもったらシンプルであるような料理だった。それは食材にだけではなく、調理法にもいえることだった。私がフレンチをあまり好きでないのは、これでもかこれでもかといろいろなものを足して作り上げるあのソースに辟易するからなのだ。これは、フレンチが足し算の上に成立している料理だからではないか。一方、HAJIMEの料理は足し算というよりも、素材の持ち味をできるだけそのまま出す、あえていうなら微分的計算の上に成立していた。そしてそれらをときには積分手法を行使しながら積み上げ、新しい味を生み出すという「戦法」が採られていたように思う。

これは生け花や茶の湯といった日本文化に共通する特徴である。日本文化をこういう風に単純に、しかもあざとく一般受けする形にするのは気がひけるが、でもそういう精神のあり方は確かに存在する。友人にそういったら、「こういう調理、料理提供の仕方はこのレストランだけではなく、パリのミシュラン三ツ星レストランでも同様だった」といわれてしまった。とすると、パリのレストランが日本の精神を模倣した可能性の方が高いと思う。

彼はパートナーと先月パリの三ツ星レストランで食事をしたのだが(わざわざそのためだけにパリに赴いたのだそうである!)、そのときのレストランの調理法、プレゼンテーションの仕方がHAJIME のそれとよく似ていたそうな。

食事はなんと3時間半にも及んだ。フランスでは4時間を超えるのがふつうだとは友人の弁。帰りには米田肇シェフがわざわざ出てきてくださって、お見送りまでしてくださった。あとでネットでチェックすると米田シェフ、大学では工学専攻で、コンピュータ会社で働いたあと、料理人のキャリアも目指されたとか。料理にもそれがはっきりと顕れていた。相手がどういう反応をするのかを予測しながら食材、調理法を逆算するところ、そしてなによりも緻密な「計算式」を駆使しての調理法に、彼のかっての経歴が生きていると思う。

背の高い、スリムでシャープな、そしていて繊細な感じの方だった。テレビ等でみかける料理人とは一線を画しておられた。友人曰く「赤い線の入った靴だったでしょ。あれプラダだよ」。そうなんですね、真っ白なこれ以上ないほどの無駄をそぎ落としたいでたちに一点赤を配するなんていうのは、まさに彼が創りだす料理そのものですよね。でもなによりもいちばんステキなのは、その飽くことのないチャレンジ精神だと思う。日本から世界へと発信し続けていただきたいと思った。彼の創りだす料理は料理というより哲学だから。