yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

春陽座@新開地劇場 6月26日昼・夜 怪猫劇『岡崎の猫』

けれんでならした初代澤村源之丞さん、その息子さんの澤村新吾さんの春陽座。満を持しての怪猫劇でした。出し物は『岡崎の猫』の後編、「母と子」。残念ながら昨日の前編を見逃したので、今日は後編を昼夜で観ました。見応えは十分というかそれ以上でした。さすが、お芝居の春陽座。以下があらすじです。


前編:岡崎藩主伊勢守はその家来本田刑部、そして彼と共謀した腰元八重によって毒殺され、御台所の萩の方との間の一子竹丸もかどわかされ行方知れずになっている。

後編
第1場
伊勢守が亡くなって3年、御台所の萩の方(沢田ひろしさん)は、今は菩提寺で夫の菩提を弔っている。そこへ刑部(澤村心さん)がやって来て、城へ戻るようにというが萩の方は断る。あきらめて刑部は帰るが、萩の方の腰元、楓(澤村かなさん)は刑部こそが伊勢守暗殺をした下手人だから、城へは帰らないように萩の方を説得する。

萩の方の妹のお香(澤村みさとさん)が能登から訪ねてくる。父母の待つ能登に帰ろうと勧めるが萩の方は伊勢守の死の真相を知るまでは能登には帰れないという。お香はそれならば姉の萩の方の傍で仕えると申し出る。

そこへ家老の標之介(澤村新吾さん)が訪ねてくる。殿の墓参りに来たのだといって、妻の房江(北條真緒さん)が連れてきた3歳になる「養子」の太郎(澤村こうまちゃん?)を萩の方に紹介する。松坂の家が途絶えないよう養子をとったのだというが、萩の方は伊勢守に生き写しのその子こそ、行方不明になっていたわが子竹丸だと分かる。標之助は太郎に萩の方の傍へ行くようにという。「おばさまは美しい方じゃなあ」という太郎に、萩の方は「強い侍にならなくともよい、人の心が分かる人になりなさい」と言って聞かせる。「はい」と応える太郎。二人は指切りをする。子役のこうまちゃん、3歳とは思えないほど滑舌もよく、将来が楽しみです。萩の方は標之助とその妻房江に太郎をそこまで育ててくれたことへの感謝を述べる。標之助夫婦とともに去って行く太郎(竹丸)に、萩の方は「健やかに、竹丸!」と叫ぶ。

第2場
萩の方はあれから 岡崎城に楓とともに戻り、 2ヶ月経過している。萩の方が経をあげている仏間に刑部がやってきて、自分のものになれと迫る。きっぱりと拒絶する萩の方。二人がもみあっているところに、今では刑部の妻になった八重(澤村かずまさん)がやってくる。刑部が部屋を出たあと、八重は萩の方に自分たちが共謀して伊勢守を殺したこと、もとは同輩の腰元だったのに、萩の方だけが御台所に収まったが憎くてたまらないと告白し、短刀で斬りかかってくる。驚いて逃げる萩の方。しかし八重の短刀で殺されてしまう。部屋にやってきた控えの侍に、「萩の方が乱心したので成敗した」という八重。そのとき、気味の悪い猫の声が聞こえる。萩の方の愛猫だった玉、八重によって殺されて井戸に投げ込まれた玉の声である。八重は玉と萩の方を一緒にこの仏間(祈祷部屋)の壁の中に埋め込むように指示する。そのとき、またもや猫の鳴き声が響きわたる。

第3場
休んでいる八重の枕もと、障子の向こうに巨大な猫の影。八重は寝苦しくて起きだす。化け猫(ひろしさん)が障子から飛び出してくる。八重の叫び声で駆けつけてきた侍が猫に首をかまれて絶命する。逃げ惑う八重。しかし猫に殺されてしまう。狂喜した化け猫は天井からぶら下がる。ここでマイケル・ジャクソンの『スリラー』がかかる。すると、玉の音頭取りにあわせて八重の死骸がダンスを踊りだす。この工夫、すばらしい!化け猫玉は舞台に立てられたポールをのぼって再び宙での決め演技。侍と八重の死骸が、化け猫のまねをして壁の向こう側へと飛び込み、また出てくるを繰り返す。化け猫の音頭とりで、八重と侍は環になって何度も舞台を回転する。八重役のかずまさんの身体をはっての奮闘ぶり、特筆ものでした。侍役は臨時の殺陣師の方だったのでしょうか。身体中痣だらけになったのではと、心配です。

これでもまだ終わらないのです!サービス満点というか、それを超えています。ここまでは「前菜」で、ここからがいよいよけれんの本番です。

物音を聞きつけて刑部がやってくる。猫は隠れる。八重の死骸を覗き込んだ刑部。八重が化け猫の形相で起き上がってくるので、驚いて逃げ出す。しかし逃げても猫に引き戻される。

第4場
後ろに閉まった幕。その前で岡崎藩の4人の侍(滝川まことさん、澤村美鈴さん、 澤村神凰さん、そして殺陣師)がうわさ話をしている。井戸に投げ込んだ玉が化け猫になったと噂。その猫を祈祷部屋に埋め込んだのだが、いまだに猫の鳴き声が聞こえるといっている。

第5場
刑部は祈祷師(澤村京弥さん)をやとって、お払いをしている。祈祷師は猫を埋め込んだ部屋の壁に魔除け札を何枚も貼付ける。刑部 、「かたじけない」と祈祷師に感謝。家臣たちに向かって藩主を不在のままにしておくとお家と取りつぶしになるので、自分がなると宣言する。そこへ標之助が出て来て異議を唱える。竹丸君こそが岡崎五万石の藩主であるべきだと言う。行方知らずで生死も定かでないのに、それはできないと抵抗する刑部に、標之助はお香が連れてきた竹丸をみせる。偽者だという刑部に、控えの侍(神凰さん)を指して、その男が竹丸を海に投げ捨てようとしたときに標之助が救い出したのだという。そしてその男の腕についた刀傷こそ、その際争ってついた傷だという。追いつめられた刑部、懐から藩主のみがもつという観音像を取り出すが、それを脇から出てきた楓に奪い取られる。楓は観音像を標之助に渡す。標之助は刑部に切腹するように迫る。刑部は侍たちに標之助たちを殺すように命令する。楓に壁の札を外して玉を呼び出すように言い残して、標之助は竹丸とその場から避難する。斬りつけられて瀕死の重傷を負いながらも楓はなんとか札をすべて外す。

耳をつんざく猫の声。暗転。いよいよここからがけれんの本番。バックの音楽は"Still Alive"。なんと粋な!この場にぴったり!猫は綱渡りを始める。床から7メートルのところにクロスして渡された2本の綱。その端からゆっくりと中央に進みます。声も出ないくらいの緊張感が会場に広がります。固唾をのんで見守る中、猫は綱が交差した中央でなんと二本足で立ちます!ほんの数秒でしたが、ながーく感じました。無事を必死で祈りました。立った猫、くるりと回転して綱に足をかけてぶら下がります。そして、今度は綱の別の端の方へと進んで行き、最後に梯子を降りてきました。

ここから、大立ち回りが始まる。歌舞伎でもおなじみのさまざまなけれん技の披露。一本の棒乗り、三本棒乗り、一枚戸板乗り、二枚戸板乗り、戸板かえし、そして屋台崩しへと続きます。以上に加えて、「欄干抜け、宙乗り」もありました。けれんの技を惜しげもなく、これでもかこれでもかといったように華麗に展開されました。これができるのは、この春陽座だけでしょう。しかも、命綱も下に落下したときの緩衝物も何もなしでの芸の披露です。この太っ腹!この心意気!ただただ脱帽でした。沢田ひろしさんの命を張った演技に惜しみない拍手が送られました。

刑部はあくまでも抵抗する。このときの音楽が"Love Phantom"! すばらしい選曲、ぴったり!ことばもありません。抵抗する刑部に玉は蜘蛛の糸のような何百本もの糸を投げつける。ここはなぜか土蜘蛛ばり。「歴史上のありとあらゆるけれんをみせてやる」という心意気、決意をびんびんとかんじました。遂に力果てる刑部。標之助、竹丸、お香がやってきて、玉に感謝する。虫の息の楓を抱き起こすと、「若様ご無事で何よりでした。優しかった伊勢守と萩の方にご恩返しができました」といって息絶える。

舞台で後ろ向きに立つ玉。標之助は竹丸にその玉がお母様だから、行って抱いてもらうようにという。猫は竹丸を抱いて、「そなたの面倒を見ることのできない母を許してくだされ。二度とそなたを抱いてやることはできないけれど、お父さまといっしょにあなたを雲の間から見守っていますよ。二人でした約束のことを忘れず、りっぱな武士になってください」といい残し、消えて行く。標之助は楓に向かい、「楓、礼を申すぞ」と、猫に向かっては、「玉よ、あの世のことは頼むぞ。この世のことはこの標之助が」というところで、幕。

けれんの技の数々、歌舞伎でみるよりもはるかに迫力がありました。そこは橋本正樹さんが強調、絶賛しておられた点でもあります。文字通り「命をはって」の技なのです。それがけれんといっても転落防止に集中している(これも当然なのでしょうが、迫力は減じます)歌舞伎との決定的違いです。

それにこの脚本!『岡崎の猫』は新作だそうです。ということはきちっと台本を書かれての舞台だったということです。第一この長い、しかも複雑な構成をもれなく舞台に乗せるには、緻密な筋書きが要るに決まっています。新吾さんが書かれたのでしょが、ただスゴイ!のひとことです。春陽座の特徴の一番上に来るのが脚本にならった構成の緻密さ、漏れのなさです。「お芝居をみている」という感じが片時も緩むことがないのです。他劇団では伍代孝雄劇団のお芝居に同質のものを感じました。春陽座の方が構成が複雑です。冒険をしているという感じが強くします。挑戦の手を緩めていないのが分かります。もっと多くの回数みておくべきでした。芝居への入れこみ方が半端ではない劇団です。新吾さんの方針なんでしょうが、座長澤村心さん、副座長澤村かずまさんのお二人がそれに同調しているから可能になるのでしょう。そういう三人の和(環)も強く感じました。一言で形容するなら、「玄人の劇団」だということです。男優陣もそうなのですが、澤村かなさんを初め女優陣の演技力も特筆ものです。そしてこれは番外ですが、女優陣、美女ばかりです。それもとびきりの。ウソだと思う方はぜひ舞台をご覧になってください。

お芝居の「玄人」は矩を超えない玄人ではないのです。ここを目一杯強調したいのですが、整った感じというより過剰さが全面に出る玄人です。そこが大好き!

舞踊ショーもすばらしかったのですが、稿を変えます。

来月は幸運なことに大阪桃谷の明生座ですから、できるだけ多く観に行きたいと考えています。