yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

大笹吉雄著『戦後演劇を撃つ』

大笹吉雄といえば明治から戦後までの日本の現代演劇の集大成『日本現代演劇史』の著者として知られている。全8巻からなるこの膨大な演劇史はすでに2001年に完成している。

日本現代演劇史 昭和戦後篇〈2〉

日本現代演劇史 昭和戦後篇〈2〉

 これは最後の巻。

残念ながら私自身はこれを読んだことがない。全巻そろえたいのはやまやまなのだができるだけ本は買わないと決めたことでもあり(といってもこの掟は何度もやぶられているけれど)、どこかでまとめて読めないかと探していた。勤務先の図書館、近隣の図書館にはないので、今日にでも全巻そろっている神戸中央図書館で読むか借り出すかするつもりである。

コンプリヘンシブな演劇史を書くということ自体、壮大なプロジェクトであり収集した資料はものすごい量にちがいない。その資料を集めるだけでも気の遠くなるような時間とエネルギーを費やしたのは想像に難くない。その上、それら資料を整合性のあるように並べ、内容を分析、批評をするという作業が加わる。これもまた知力、体力が試される作業である。それを成し遂げたということは、小西甚一の『日本文芸史』ドナルド・キーンの『日本文学史』に匹敵する偉業である。

今日話題にするのは彼の2001年に出版された『戦後演劇を撃つ』である。

この中で大笹の日本演劇の「独自性」を問題にする姿勢が窺えて興味深かったのが、このブログでも以前にとりあげた『シアターアーツ』創刊号の「戦後演劇ベスト10」のアンケート結果だった。アンケートに答えたのは劇作家、批評家54名だったが、ベストワンが三島由紀夫の『サド侯爵夫人』だった。大笹はフランス古典主義の演劇に則って書かれたこの作品が戦後日本の演劇史のトップに選ばれたことに違和感を覚えるというのだ。完成度の高さは認めつつも、「作者の個性よりもその美しさが圧倒的な印象を残す」この作品が日本のものとしての独自性を出していないところが、問題だというのだ。ここに「日本の演劇」という枠にあくまでも拘ろうとする大笹の姿勢が読み取れる。

もう一つ興味深かったのが新劇、アングラ劇、そして小劇場といったジャンルへのかれの見解である。新劇は明治になって歌舞伎等の伝統演劇に対する新しい演劇ということでネーミングされたジャンルなわけだが、もちろん口語を使い、実際の生活に即した内容を演じるというリアリズムをこととした。その新劇へのアンチとして安保闘争以後登場したのが反リアリズムの旗印を掲げたいわゆるアングラ演劇であるが、それが変質した過程を無視できないという。

 もっとも、アングラと呼ばれた当事者はその呼称を肯んじなかったし、個々にも差異があった。が、概して言えば、劇場概念や新劇的な戯曲を絶対視する演劇制度の破壊、俳優の役割の重視、集団の新たな組織論、能や歌舞伎への新たなアプローチ、リアリズムの放棄と人間の無意識界への注目といったごとく、共通項を持っていた。当事者の好悪はともかくとして、それが新劇とは別の全体的な様式を持ち、そうであればこそ、新しくアングラ演劇と命名されたのは当然だった。
 今やそれは歴史的な名称だと考えるが、唐や寺山以降の多くの若手は、新劇とは別のこの流れにあると自任し、ジャーナリズムもそういう対処の仕方をした。わが国の現代演劇は、60年代の後半以降新劇とアングラ劇に二分し、やがてアングラが小さな劇場に拠ったことをからそれをアングラ小劇場をいいならわして、いつしかそれが小劇場と短く呼ぶようになって今にいたる。
 (中略)私見によれば、つまるところ、つか以降のアングラ系の演劇は、どんどん新劇化したのである。(中略)大勢としては新劇化が進み、バブル経済が破綻した90年代になると、若い劇団や劇作家でも、ごく普通の生活者の日常を、写実的に描く舞台が激増した。(中略)つまるところ、(これらは)新劇になった。これが戦後50年を経た現代演劇の現状で、わたしは俗にいわれるように新劇とそれとは別の小劇場があるのではなく、新劇とアングラ演劇がある、あるいはあるべきだと考えている。

これは前のブログにも書いた平田オリザ氏の作劇法を思い起こすと、至極納得できる見解である。と同時に大笹の「新劇化」してしまい先鋭的ではなくなった現代演劇への苦言ともとれる。演劇は、特に現代演劇は常に時代の抱える問題を深くえぐり出すところに軸足を置いてきたはずなのに、今の「小市民化」した演劇にはそういった牙がなくなってしまったことへの嘆きでもあるだろう。