yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

映画『幸せのレシピ』の料理

たまたま民放で放映されている最後の40分ほどを観た。2007年封切りなのですでに4年経っている。以下にgoo からの作品解説をはっておく。

マンハッタンのレストラン“ブリーカー22”で料理長を務めるケイト(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)は威圧的な態度になっており、オーナーのポーラ(パトリシア・クラークソン)に言われてセラピーに通っている。ある日、姉が交通事故で亡くなったため、しばらく休暇を取り、孤児となった姪ゾーイ(アビゲイル・ブレスリン)を引き取る。休み明けにレストランへ向かうと、ポーラは副料理長としてニック(アーロン・エッカート)を雇っていた。自分の城を踏みにじられたと思ったケイトはニックと衝突。一方家では、ケイトはゾーイへの接し方に頭を悩ませていた。ゾーイは心を開こうとしない。夜遅くまで一人にさせておく訳にもいかず仕事場へ連れて行くと、ニックの機転によりゾーイは食事を取り始める。その日からゾーイは徐々に心を開き、彼女の要望によりケイトの部屋へニックを呼んだことから二人の距離も縮まってくる。しかしケイトが休んでいる間に、ポーラはニックに正式に専属シェフにならないか打診。それを知ったケイトはニックに、自分の城を奪うな、なぜ独り立ちしようとしないのかと激しく詰め寄り、再び衝突。夜、ニックからシェフになる話は断ったとの電話が入る。翌日、ニックが家に来ることはもうないと告げられたゾーイはショックを受け、失踪。慌てたケイトはニックに連絡し、二人で探す。ゾーイは母の墓にいた。落着きを取り戻したケイトに、ニックはサンフランシスコで総料理長となると話す。再び厨房はケイトの天下となったが、ニックを必要としていることに気付き、自分の殻を破って彼の部屋へ引き留めに行く。しばらくして、ケイト・ニック・ゾーイのレストランが開店し、仲睦まじく働く3人の姿があった。

いかにもハリウッド的な作りになっている。『ユー・ガット・メール』『ジュリー&ジュリア』などと、監督は違ってもとてもよく似ている。『ユー・ガット・メール』、『ジュリー&ジュリア』の2作はいずれもアメリカへの往復の飛行機の中でみた。そういえばこの『幸せのレシピ』もJALのリストに入っていたような。

JALANA、それにアメリカンといった航空会社はエコノミークラスでも飛行中にみるビデオを選べるサービスをしているので、往復で6作品ぐらい観ることになる。肩が凝らなくていいのでたいていはハリウッド作品を選ぶのだが、たまにそれ以外のものですごい作品に出会ったりする。とくに品田雄吉さん監修のJALの場合がそうである。

この『幸せのレシピ』もそれなりに注目された作品だった。全部みたわけではないが、理由も推測できる。"heart warming" な「ヒューマンドラマ」ということになるのだろう。いかにもアメリカ人受けしそうなテーマだが、それだけのことである。あまり期待してはいけない。

ただ、キャサリン・ゼタ=ジョーンズの演技にはかなり魅了された。彼女は生粋のアイルランド人で、それがハリウッド文化に揉まれることで、その「アイルランド」のアイデンティティが薄らいでしまい、魅力半減だと思っていたけど、この映画で見直した。舞台がニューヨークなのでその文化を表す洗練された外見になっているが、表情にときとしてなにか頼りなげな、あえていうならば外国人のある種の気後れのようなものを感じさせる。それが「トラフィック』の中でのキャサリン・ゼタ=ジョーンズのアグレッシブな演技とは対照的である。

作品解説を読めば分かる通り、結論の持ってきかたがいかにもご都合主義である。でもキャサリン・ゼタ=ジョーンズの魅力と、そして何よりもニューヨークの街、そこに生息する人たちの実態がこれ以上生き生きと描かれた作品は他にはあまりないと思う。それだけでも(たとえそれが製作者の意図とははずれていても)、この作品は見る価値は十分過ぎるくらいある。