yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

ルポライター竹中労の著作

私は「過剰な」人やものが好きな傾向があって、小説家であれ、批評家であれ、歌手であれ、そして役者であれ、過剰を具現化できていないとつまらないと思ってしまう。

橋本正樹著『あっぱれ!旅役者列伝』を読んだとき、過剰の化身のような竹中労のことを思いだした。著者の橋本正樹と竹中労は、いわゆるハイカルチャーの埒外にある旅芝居やら芸能人やらをルポしている点で共通点がある。彼らの取材の対象は、往々にして一般常識が適用できないような「過剰」さをもつ人たちである。もちろん彼らを取材しそれを記事にする橋本正樹であれ、竹中労であれ取材対象の過剰さをねじ伏せるだけの過剰性を自らの中に抱え込んだ人たちでもある。

竹中労については松岡正剛がその「千夜千冊」の中でも取り上げていて、全く世の中から葬り去られたのではないことが分かってうれしかった。ルポライターという職業は作家やら編集者やらといった階層に区分けされることのほとんどない、ある意味アンダーグラウンドの職業である。しかし、竹中労をそういう風にレッテル貼りをするのは、見当違いだ。彼のすござはそのルポの文をよめば一目瞭然だから。

竹中の著書に出逢ったのはかれこれ6年も前、彼の美空ひばりの伝記を読んだときだった。ひばり親子を平伏させるだけの猛烈なパワーの持ち主であることが、その文章から伝わってきた。ひばり親子の複雑な心理、その裏の事情を分かった上で、あえて「厳しく」対峙する彼の姿勢は哲学的ですらあった。ひばり親子も最終的にはそれが分かって、彼に歩み寄るのだが、ひばりの母のそしてひばり自身のの死という酷薄な事実に結局は完全な和解へとは至らなかった。ひばり、そしてその母という二人の「怪物」に負け戦を喫しながらも、果敢に闘う苦いプロセスが如実に描かれていて、ルポとしてでなく文学としてもきわめて高いレベルのものになっている。

松岡正剛がとりあげたのは『ルポライター事始』で、竹中のルポライターとしての取材方法のみならず、そのポリシーが実例をもとに示されている。今、こんなにレベルの高いルポライターは皆無だろう。お寒い限りである。取材対象自体がお寒い限りだから、仕方ないのかもしれないが。

稿を改めて、竹中労の私が手元にもっている3冊の著作、『美空ひばり』、『ルポ・ライター事始』、そして『芸能人別帳』の三点について書きたい。