yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

NHKの伝統芸能番組にみる歌舞伎の若手

最近のNHK、若い視聴者を意識した番組作りをするようになってきたし、一新された番組も民放よりもずっと質の高いものが多い。東日本の震災以来、信頼度の高い情報を求めた視聴者がもっぱらNHKを視聴するようになったのではないだろうか。

で、邦楽番組も最近では親しみやすさを心がけて作られている。そのひとつが「にっぽんの芸能:芸能百花繚乱『鮮やか爽やか花形競演』」という番組だろう。先日最初のところを見逃したのだけれど、今朝再放送を全編みることができた。

中村壱太郎さん、尾上松也さんという若手歌舞伎俳優を招いてのトークと舞踊で構成されていた。司会のアナウンサーに「山川静夫さん」並みの教養と歌舞伎への愛情を期待するのは酷かもしれないけど、質問等、少々物足りなかった。それとゲストがもう少し何とかならなかったのかと思う。

それと、若い役者さんたちは、どうしても大衆演劇界の若手の役者さんたちと比べてしまう。この点でもかなりがっかりした。去年南座の顔見世でがっかりしたことが蘇ってきた。中村雀右衛門さんが以前におっしゃったのをどこかで読んだが、確かに「歌舞伎界では五十、六十は洟垂れ小僧」で、芸の円熟には時間がかかるのだろう。今まではそういうものだと信じていたので、下手な若手を見てもあまり驚かなかった。でもここ二年間ばかり大衆演劇の役者さんたちの芸を見せてもらってきて、歌舞伎役者が上にいるとは到底思えなくなった。同時にそのレベルで安住しているのでは、歌舞伎そのものが形骸化(劣化)するのは時間の問題だとも思うようになった。

以前に坂東玉三郎さんの一日をドキュメンタリーで追った番組をみた。彼の芸に対する真摯さ、謙虚さ、そしてなによりもそのストイックなまでの稽古への打ち込方に感動した。肉体は衰える。日々たゆまない稽古によってそれに抗い、むしろそれを逆手にとって肉体の衰えを超えるような技を身に着けることができるのだろう。そして身体が覚えこんだ鍛錬の歴史が芸の深みを、芸の実をつくり上げるのではないだろうか。歌舞伎は強力なパトロンを得て他の芸能よりも恵まれた位置にある。だからこそ、それ甘えず、常に精進すべきなのだろうけど、実際はそうなっていないのではないか。

中村壱太郎さんは今の歌舞伎役者の中ではいちばんと私が思っている藤十郎丈のお孫さんである。父方が成駒屋だとすると、母方の曾祖母は吾妻流家元の吾妻徳穂さん、曾曾祖父さんは十五代目市村羽左衛門、大伯父は五代目中村富十郎丈という、そうそうたる係累である。でもいささか係累負けしているのではと思ってしまった。彼の舞台(芝居・舞踊)は一昨年に尼崎のアルカイックホール藤十郎丈との「共演」で日舞の名取の友人とみたけど、芝居もお祖父さんに完全に食われていたし、舞踊も友人の「やたらとパタパタしてたね」といった評があてはまっていた。NHKの番組での舞踊、「汐汲」も、いささか物足らなかった。

尾上松也さんはお父さまを若いころに亡くされたようで、苦労されたのだろうと思う。五代目中村時蔵さんや四代目尾上松緑さんたちもお父さまを早くになくしてずいぶんと苦労したというのを、読んだことがある。家の芸は代々父から子へと継承してゆくものだから、「孤児」になることだどういうことかは想像がつく。

テレビの画面でみる尾上松也さんは明るくて、そういう苦労の片鱗も感じられない。「雨の五郎」を踊られたのだけど、曲も曲なだけにのびのびと踊っておられた。でも足の動きが不安定で、軸もきっちりとしていなかった。のびのびした様子はよかったのだけど、技巧面が今一という印象を受けた。これだと私が今までにみてきた大衆演劇の若手にはるかに上手い人が何人かいる。

大衆演劇の若手の方々には日替わりのお芝居、そして構成もすべて自分たちで考えた舞踊を提供することが求められている。稽古したくても時間の制約でできないことも多いだろう。それでも優れた役者さんたちは、歌舞伎の役者を超える芸をみせてくれる。これにはただただ尊敬の念と感謝の念があるのみである。厳しい状況は松竹や国の手厚い庇護のもとにある歌舞伎の比ではない。でも、厳しい状況だからこそ歌舞伎を超える芸が生まれ、育まれる可能性があるのかもしれない。