yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

東浩紀の「インターフェイス的主体」

東浩紀著『サイバースペースはなぜそう呼ばれるか』(河出文庫、2011)を読み始めた。彼はデリダについての気鋭の論考をまだ大学院生の頃から『批評空間』に載せ注目を浴びていた人である。彼を引き立てた柄谷行人浅田彰と距離を置くようになったのも、何となく理解できた。ポストモダンを標榜する柄谷にせよ浅田にせよ、どこか旧世代的重さ、それはおそらくヘーゲルマルクス階級闘争に軸足を置く姿勢に拠るのだろうが、を引きずっているのに対し、東はもっと「ポストモダン的新人類」である。その思想はポストモダンの核になっている軽やかさ、とらえどころのなさが特徴だ。

動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会』(2001)、『コンテンツの思想』(2007)も以前によんだ。アニメ論を書いたときに参考にしたのだが、アメリカ人の書いているアニメ論よりもはるかに哲学的だと思った。私が読んだ範囲だと、アメリカ人研究者のものは分析方法がもっとヘーゲル的というか、カルチャースタディーズの上に乗っかったものだった。それは書き手の年齢が大きく関係しているような気がする。先ほど例にひいた柄谷(1941年生まれ)にしても、浅田(1957年生まれ)にしても1971年生まれの東からすれば旧世代に属している。

私が彼を好きなのは、ラカン精神分析学、そしてその批評をサイバースペース論の基調にしているからである。このあたり、スラヴォイ・ジジェクとの共通項を強く感じる。現に、『サイバースペースはなぜそう呼ばれるか』にもジジェクは頻繁に登場する。もう一つの理由は、アニメ、ライトノベル、そしてゲーム等を新しいメディアの中心に置くからでもある。また別の理由は、押井守を彼の「作家業」の師匠の一人としているからでもある。

押井といえば、彼の作品には三島由紀夫へのオマージュが溢れている。柄谷や浅田は三島を評価しなかった。ここに新しいメディアで三島の影響を受けた新人たちが出てきて、彼らが「実践」できなかったポストモダン的空間を跋扈しているのだ。東自身は「三島由紀夫賞」にノミネートされたこともある。

この本の中で、もっとも面白かったのが、第6回の「インターフェイス的主体」を論じたところだった。彼のいうところによると、近代的主体は映画を見る場合、スクリーン(見えるもの)とその背後(見えないもの)の弁証法によって組織していたが、ポストモダン的、つまりインターフェイス的主体はスクリーンをたえずイメージとシンボルとに二重化しているという。かってイメージは見えたがシンボルは見えなかったので、見えるものをみせかけとして捉え、背後に見えない象徴秩序が存在し、それが主体間のコミュニケーションを「保証」していた。しかし、ポストモダン的主体はその全面的可視性、表層性の中で主体性を設立しなくてはならず、そのためには今までのの理論ではなく、新しい理論的隠喩が要請されているのだというのだ。

このすべての「見える化」は大文字の他者が消えてしまったところからくる。そうだとすれば、柄谷、浅田の世代はまだ大文字の他者を想定できた世代というべきだろうか。

こういうイメージとシンボルとが並列する例として、東はアニメオタクの感性を挙げる。彼らはアニメのキャラクターを絵(イメージ)として捉える一方、人間を表すシンボルとしても捉え、その二重性で画像を処理している。「オタク的主体のシニカルさは想像的処理と象徴的処理との往復に支えられている」といい、それが精神分析が近代的主体を想像的主体、象徴的主体との往復として捉えたことと連動しているのだと彼は主張する。このあたり、まさにラカン。われわれがアニメ、ゲーム等の「仮想空間」をかくも欲望するのはそこにそういうインターフェイス的主体の在処をみるからといわれると、なんとなくナットクできる気もする。