yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

ヴァイオリン、ピアノ、デュオコンサート

iPad 2 購入が空振りに終わり、かなりがっかりしたのだが、このコンサートで多少気が晴れた。

中之島三井ビルに入っている建築設計事務所が会場のコンサートである。以前にこのオフィスを一度訪ねようとしたことがあったが、場所がよく分からず止めてしまった。今日はドヴォルザークのヴァイオリン・ソナタということで、ぜひとも聴きたいという意気込みで出かけた。いずれにしても大阪まで出てきていたので都合がよかった。

この3月にプラハに行った際、コンサートに行きそびれてしまった。コンサート情報の満足のゆく英語でのサイトがなかったのと、滞在していたホテル近辺の夜の治安が心配だったからなのだが、ずっと悔いは残っていた。ヨーロッパに行った際には夜はコンサートに行ったのに、音楽のメッカの一つのプラハで現地のものを聴けなかったのは、本当に残念だった。

今日のコンサートはその埋め合わせをしてくれた。プラハ出身の音楽家、ドヴォルザークがいっぱいプログラムに入っていたから。

演目は「ベートーベン:ヴァイオリン・ソナタ第1番ニ長調」、「ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番二単調」、「ドヴォルザーク:4つのロマンティックな小品作品75」、「ドヴォルザーク:マズレック ホ短調作品49」、「ドヴォルザーク:ユーモレスク作品101−7」、そして「パルトーク:ラプソディ第1番」と多彩だった。でもヴァイリンの演奏者、景山昌太郎さんの「得意」レパートリはスラブ系の音楽家のようだった。ピアノは兼重稔宏さんという若いピアニストだったが、年齢がお互いに近く、二人の息もぴったり合っていた。

なんといっても、「ドヴォルザーク:4つのロマンティックな小品作品75」、「ドヴォルザーク:マズレック ホ短調作品49」、「ドヴォルザーク:ユーモレスク作品101−7」の演奏はステキだった。

チェコ(ボヘミア)という地域は他のヨーロッパと似ているようでどこか異質なものを持っている。おそらくそれはスラブの血のなせるわざなのだろうけれど、エモーションに訴えかけるきわめてセンシュアルな響きに溢れている。旋律はその精神を具現化したものだから、甘く哀しく、時としてセンチメンタルに聞こえるメロディーは、そのままボヘミア精神を顕しているのだろう。あんなに近いのにウィーンの洗練とはまた違った響きが、通奏低音として常に旋律に絡まっていて、聴き手のセンチメントにしっかりと入り込んでくる。聴き手が異文化の人間でも。

スラブ系の音楽はきちんとした調和に帰するというのではなく、暗い情念に満ちていて、それが均整を破って迸り出てしまうといった奔放さが感じられる。文学にもその傾向が多分にあるから、音楽にもそれがいえるのではないだろうか。調和を破る勢いが好きだ。そういえば、映画、『存在の耐えられない軽さ』の最後の場面にも均整が破られる荒々しさがあったことを思い出した。

今日のドヴォルザーク演奏にはそれがよく表現されていた。一見生真面目そうなヴァイオリニストの景山さんだったのだが、一旦演奏が始まると、ドヴォルザークの情熱的な世界にのめり込んでおられるのがよく分かった。

パルトークもルーマニア出身なので、彼の音楽にもドヴォルザークと同質のスラブ魂が溢れていた。もっと現代的、暴力的ではあったけれど。アンコールでもパルトークのスラブ舞曲を演奏されたのだが、それまでよりもなおいっそう楽しげに乗って演奏されていた。微笑ましかった。若い演奏家は経済的にも大変だろうけれど(音楽を含む芸術振興では日本は後進国)、頑張っていただきたいと思った。