yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

服部幸雄著『歌舞伎の原郷−−地芝居と都市の芝居小屋』

アマゾンから届き、先ほどざっと目を通した。予想通りの内容である。じっくりと読もうと、はやる気持ちを抑えている。

見開きのグラビアが金毘羅大芝居、長野県大鹿村での大鹿歌舞伎、秋田県小坂町の康楽館、そして熊本山鹿市の八千代座の写真である。これからもおよその内容が見当つくだろう。

かっては日本全国の各地で発生した「地芝居」が、巡業でやってくる旅芝居、そして江戸や大坂の大歌舞伎の影響を受けながら、そしてそれらに影響を与えながらどう発展してきたのかを、いくつもの歴史的文献、資料にあたりながら検証したものである。そして著者がなによりも読者に伝えたかったことが本の背表紙に書かれている。曰く、

「神社の祭礼に上演される土地の人の地芝居や地方の芝居小屋には、現在の歌舞伎が失った役者と観客が一体となった劇空間が存在する。黒森歌舞伎・旧金毘羅大芝居などに、江戸歌舞伎の<時空>を考察。歌舞伎の原風景を探る。」

地芝居の検証に著者が使った資料のひとつが江戸の文化文政期以降の滑稽本、洒落本などの江戸戯作である。筋を要約しながら、地芝居に言及されている箇所を丁寧に引用、解説を付している。出版されている戯作作品もあるが、中には東大の史料編纂所等の歴史資料館、地方の旧家に残る資料で閲覧しなくてはならないものもあっただろう。著者はそれらを丹念に当たったのだろう。私も機会を作って自分の目で確かめたいと思う。

またフィールドワークもきちんと実践していて、それが彼が展開する仮説の強力なサポートになっている。実際に地芝居が残っている土地に出かけ、降りしきる雪の中で長時間観劇したとのことである。

地芝居は、普段は農作業をしている村人がハレの日(例えば氏神の祭礼)にキラ(きらびやかな衣裳)で着飾り、公家、武士に変身して芝居をするもので、彼らにとってそれほどの喜びはなかっただろうと著者は推察、金ぴかの衣裳は「日常性から飛翔する仕掛けだった」と結論する。

戦後になって映画、テレビ等のマスメディアに人の関心が移って、地方に栄えた地芝居も廃れてしまったという。それは大歌舞伎にもいえることだろう。

しかし、変質はすでに「近代化」とともに近代の日本で始まっていた。江戸時代の芝居見物という遊びが、近代になって変質したのだ。芝居を観るという行為は遊び、歓楽から、演劇を鑑賞するという姿勢になってしまった。つまり楽しむものから「学習するもの」へと変質してしまった。それは劇場という仕掛け・装置の構造上の変化によるところも大きいと著者はいう。

その一例として椅子席を挙げる。床に座ってみるときの役者と観客の近しい距離、またそこに生み出される人間的温かさ、そして交流が消失してしまったことも、芝居の変質の原因だったという。となると、大衆演劇の観劇の多くのスタイルは先祖還りなんでしょうか。

さらに照明も変質の原因のひとつであるという。蛍光灯のあかりが日本の家庭の照明のあり方根底から変えたことは前のブログにも書いたが、芝居でも煌々と輝く照明が芝居の質を変えてしまったのである。いま金毘羅歌舞伎などで実践されている昔の照明法でで芝居をみるというのは、まさに現代の歌舞伎への挑戦なのだ。

400ページ弱の力作で、おそらくこの本を超える研究は当分出ないと思う。貴重なそして重い内容の研究書である。じっくりと腰を落ち着けて読んでゆきたい。