yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

美しい街、プラハ

昨日で三日間の学会も終了したので、今日、明日は「観光」に使うつもりだったけれど、緊張がとけた途端に時差ぼけが始まりました。夜中の1時半に目がさめてそれ以降は眠ることができませんでした(午後5時すぎの今でもなんとなく身体が重い)。

出かけるのは昼からにしようかとも思ったのですが、せっかくの機会、これから再びこの地を踏むことがないかもしれないわけで、朝食をとった後すぐに出かけました。

まず定番のプラハ城に行きました。学会中は滞在しているホテルと学会会場になっているホテル(この間は地下鉄を使って40分ほど)の往復だけで手一杯でしたので、街の交通がどうなっているのかが皆目分からない。というわけで『地球の歩き方』の出番です。付録の地下鉄、トロリー網とにらめっこしながら地下鉄、トロリーを乗り継ぎようやくのことでお城にたどり着きました。エディンバラ城のように市内の「中心」にあるとなんとなく思い込んでいたので、歩くつもりだったのですが、それだとかなり大変だったでしょう。街はずれの高台というか丘陵の天辺にあるのです。

今回のチェコで今までの私の「やり方」が通用しなかった件があります。それで地下鉄でもかなり困りましたが、トロリーを使う際にはもっと困りました。それは言葉です。チェコ語は英語等のアルファベットのようには発音しないんです。フランス語、ドイツ語とはこの点が違うので、それを知らなかったばっかりに乗り違えそうになりました。

一応ほとんどの場合は英語で大丈夫でした。さすが観光地プラハです。その点はヨーロッパの観光都市と違いはありません。でもこの発音の伏兵には参りました。ちょっとは勉強してくるべきだったかもしれません。ただ、そんな時間はありませんでしたし、発表で頭がいっぱいで精神的にもムリだったでしょうが。

プラハ城の中核をなす聖ヴィート大聖堂は圧巻でした。ゴシック形式の寺院はイギリス、オーストリア、イタリアでも見ましたが、これほどの規模、壮麗さは他の寺院の追随を赦しません。「マグニフィセント」のひとことです。中に入った観光客のほとんどが90度の角度で首をそらせて天井をみていました。
  
旧王宮は改修中でしたが、それでも往時の華やかさを偲ばせるたたずまいでした。

残念なことに朝から降り続いていた雨がこのあたりで本降りになり、城内を散策するのをあきらめました。ちょうど昼時でもあったので、学会中に毎日立ち寄っていた「近代化したプラハ」を象徴する新しいショッピングセンター(学会のホテルはこのすぐ近所)に昼食をとりにゆきました。アメリカ文化はここにも及んでいて、(私の大好きな)アメリカのモールとなんら変わりがありません。それよりはかなり豪華な内装で、阪急西宮北口の西宮ガーデンズに近いかも。3階にフードコートがあるのです。タイ式やきそばを食べました。コーラつきで日本円にして500円弱は安いですよね。量も半端じゃないので、こんなのを毎日食べてたらデブになって帰国すること間違いなし。

そのあと、カレル橋にトロリーで行ったのですが、その俗化に驚きました。ベニスよりもひどいかも。カレル橋から東は旧市街地になっていて、細く入り組んだ中世からそのままの通りが続きます。来てよかったと思いました。それくらい中世の雰囲気を伝えていました。通りそのものはベニスのそれと似てはいますが、もっと広く開放感がありました。国立オペラ劇場はウィーンのものほどの圧迫感のない、親しみやすい建築でした。今回滞在しているホテル近辺の治安が余りよくないので、8時から始まるオペラ公演には行けそうもなく、残念です。

世界どこの観光地にもいえることですが、観光客が押し寄せるところでゆっくり観光するのは不可能です。今回は今まで訪ねた観光地よりも幾分かましでしたが、それでもいささか「うんざり」しました。平日でこの観光客の波なんですから。

観光客といえば、今日一日で出くわした日本人は若い男性の一人旅が2人、中年女性の一人旅が一人、若いカップルが2組だけでした。信じられない少なさです。

以下に写真を貼ります。
プラハ城入り口

聖ヴィート大聖堂内部


カレル橋

旧市街広場