yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

マーティン・ハイデガーとド・マンの反ユダヤ主義 1月27日

この表記の仕方は英語流である。「マルティン・ハイデッガー」とする場合もあるという。こちらはドイツ流か。


エドモンド・ヴァールさんの著書で、ウィーンで銀行家として一家をなしていた彼の一族が、ナチスによって過酷な運命にさらされ、英国へと落ちのびる章を昨日読んだところだ。いつも通勤途上で聴いているTeaching Companyのレクチャーはハイデガーにした。


ハイデガーは毀誉褒貶の著しい点で、以前のブログに書いたアメリカの文芸批評家、ポール・ド・マン(1919ー1983)と共通点がある。彼らが非難されるのはナチスへの加担という「咎」によってである。


ベルギー出身のド・マンの場合、彼の死後1988年に彼が雑誌に投稿した反ユダヤの文書(1941)が見つかり、それが物議をかもした。しかし、当時、デコンストラクション全盛期、その旗手だったデリダは擁護している。私がブラウン大学に研究員でいた1991年当時、比較文学の授業では当然これが話題になった。擁護する側、非難する側両方の批評文を読まされたものだ。MLA等の学会でも、当分はこれがひとしきり話題にのぼった。


その当時はド・マンには惹かれなかったというか、よくわからなかったのだけど、後にアメリカで院生をしているときに、Allegories of Reading をよんで衝撃を受けた。プルースト、リルケ、そしてニーチェ等の文章の修辞法を緻密に解読した内容である。


そして、ハイデガー。彼は生粋のドイツ生まれであり、ナチス時代はすでにフライブルグ大学の総長にまで登りつめている。彼は一時ではあっても1年程度ナチス党員だった。これで戦後は教職を去っていたが、また大学に復帰している。著書の数は多くないが、代表作、『存在と時間』はポストモダンのデリダ、フーコーに大きな影響を与えた。


ド・マンの場合もハイデガーの場合も、デリダがその理解者であり、擁護にかかわっているのが興味深い。彼自身はフランス系ユダヤ人なのだから、なおさらである。