yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

正念場かも

三日前から口内炎で悩んでいる。十年以上出たことのない症状だ。おそらくストレスから来ているのだろう。

来年度の担当科目が決まったけれど、不満なので身体が反応しているのだと思う。大学生に中学レベルの英語を教えるということへの拒否反応なのかもしれない。英語は二度と教えたくないと思って7年にわたるアメリカから帰国したのに、このざまである。まだ日本語を教える方が、自分にとってはチャレンジングなのだ。知らないことを学習する楽しみがあるから。

英語はもう教えたくない。しかし、である、今は英語の元締めみたいな役職に就いているので、教授法についても監修する必要があり、これが負担なのだ。言語はネイティブ、もしくはそれに準じた人がすべてその言語を使って授業を進めるべきと私は考えている。ところがそれが徹底していないのが現状で、その必要性を英語の担当教員に説いて回る必要がある。同時に、すべて英語を使っての授業がどんなものかを示す必要がある。私にしてみればそんなことは自明なのだから、各個人で勉強、研究し、マスターして当然なのである。でもそれがまったく徹底してない。

旧態依然とした訳読中心の授業をやりつづける教師たちに絶望している。この人たちと関わりたくないというのが本音である。そういう人たちにプリーチングする意味を感じられなくなっている。英語でいえば、"I have had enough"なのである。もう「どうぞ、ご勝手に」という心境である。「アメリカだったら即刻首だぞ」と思っている。勉強しない人は嫌いだ。

何のためのペンシルバニア大のPh.D. だったのかと悲しくなる。辞めてアメリカで再度挑戦するか、日本の大学の留学生を教える職を探すのか、今のままで行くのか、選択する正念場に来ているのかもしれない。