yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

百合と翡翠

今日は勤務先の二つの学会の合同研究発表会だった。人文、自然、国際関係に及ぶので、発表者も文・理系両方にまたがっていた。今日の共通テーマは「日本列島」だった。お一方は生物学、それも百合のご専門の先生、もうお一方は考古学がご専門の先生だった。お二方ともにそれぞれの学界では有名な方々である。そして発表内容も相応にとても面白かった。口では「学際的」なんていっているけど、日本の学界は(日本外でもだろうが)きわめて「たこつぼ的」である。だからこういう専門分野の横断的な発表を聞ける機会は少ない。だからいそいそと出かけたのだが、思った以上に収穫(?)があった。

最初の発表は「ユリのふるさとに思いをはせて:日本列島のユリ」というタイトルの通り、ユリがどこから日本に来て、そしてどういう風に根付いたのかというテーマが中心だった。ユリの分布、それに化石に残っているユリから、それを論じられた。ユリは日本では、球根が茶碗蒸しの具になっているように食料として捉えられてもいるに対し、西洋では鑑賞するものとして捉えられているという。食料として考えるのはとんでもないのだそうだ。それは日本ではユリは自生し、いくらでもあるのに対し、西洋では外から持ち込まれたものだったという背景があるためだという。西洋ではその厳しい気候のため花そのものが珍しい。だからユリは珍重され、食料と捉えられることはなかった。そして、清純な美のシンボルとなってきたのだ。

これは目からうろこだった。文学にも頻繁にユリは出てくる。たとえばバルザックの『谷間の百合』などのように。詩の頻繁に登場する題材でもある。それのようなユリ崇拝がそういうところに根ざしたものだとは、想像がつかなかった。

次の発表は日本列島における岩石と人類の関係を探るものだった。発表者は日本考古学界の重鎮である。縄文時代の人類が岩石をどういうふうに加工し、槍尻、矢のような武器にしていたのか、どういう岩石がそれに適していたのかといったところから説き起こし、やがて石が呪術、装飾等に使われる経緯を話された。縄文、あるいはそれ以前となるともう想像を超えた昔だが、急にその当時の人間が身近に感じられた。

中でも翡翠の話題が興味深かった。翡翠は当時も装飾用として珍重されたらしく、多く発掘されている。三種の神器、勾玉に使われているごとく、聖なる意味も持っていた。このような用途の翡翠だが、日本起源説は大きな声で唱えられないそうである。隣国に遠慮してだろうか。変な話である。

久しぶりに異業種交換会ならぬ学際的なディスカッションの場に出ることができて、楽しかっただけでなく、発表者の専門、そしてひととなりも窺い知ることができたのも収穫だった。