yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

フランシス・ベーコンとミッシェル・フーコー

同僚の哲学がご専門の先生と読書会を毎水曜日にしています。ドイツのフライブルグ大学では招聘プロフェッサーで何度も講演されたほどドイツ語はご堪能なのですが、英語でもディベート、ディスカッションがしたいという彼の希望で始めたもので、夏休みはお休みしましたが、もう半年になります。

正直いって、日本人とこういう英語でのやりとりには懐疑的だったのですが、ギブアンドテイクということで私の興味がある、そして彼から「テイク」できるものでやろうということになり、哲学者とその思想をトッピックに選んでいます。今まで、カント、バーク、ニーチェヘーゲル、ヒューム、アダム・スミスとやってきました。

このセッションは、アメリカのTeaching Company (私的機関です)が出しているアメリカの大学の各専門の教授のレクチャー(DVDで全部で50枚ほどあります)を聴いた上で、二人で英語で討論するという方式にしています。つまり大学の授業と同じ形態をとっているわけです。違うのは参加者が日本人で、向こうでの授業のように猛烈なスピードでのディスカッションにはなりえない点です。でも(To my great surprise) 結構盛り上がります。やはり何であれ外国語が堪能な方は英語の場合もかなり速いスピードで上達されるのだと、感心しています。

それで今日はフランシス・ベーコンでした。この選択、とてもよかったです。遠い昔にならった世界史の一部が蘇ってきました。ベーコンは科学の近代的アプローチの祖だったのですね。

ベーコンの帰納法的アプローチはミッシェル・フーコーの The Order of Things (邦訳はないようです)を思い起こさせました。アメリカの大学院の「音楽理論」のコースで読まされたものです。インターネットで関連性を言っている人がいるかなと思い調べたところ、英語の文献でありました。フーコーはベーコンが問題にした「知識と権力との関連性」を利用して、知の歴史を論じたのだという論文を見つけました。フーコーのエンピリカルなアプローチはまさにベーコンの唱えた科学への「帰納法」的アプローチですから。

http://www.allacademic.com/meta/p_mla_apa_research_citation/1/5/0/6/5/p150652_index.html

フーコーのこの著書は後の大作、『知の考古学』、『性の歴史』へとつながってゆくのでしょう。

アメリカの批評理論界では、ひところは「ジェンダースタディ」絡みでフーコーの理論が全盛だったのですが(フーコー自身が望んだわけでもないでしょうが)、その後ラカン等の「精神分析理論」が席巻し、いまや中心は「サイボーグ論」です。

哲学専攻ではなかったのですが、批評理論をやるとなるとどうしても哲学的素養が必要となります。とはいっても、ポストモダン関連の哲学者しか読んでこなかったので、このセッションのおかげで基礎を学べています。自分のことに集中したいときには、正直やりたくないときもありますが、相手がいると選べません。ですからこういう機会があることを、そして同僚の先生には感謝しています。