yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

アメリカCBSの人気キャスター

CNBCをTwitterでみようとiPhoneにダウンロードしたら、経済ニュース、それも主として株式関係のブログをも読むことができるようになった。アメリカではいわゆるテレビ、新聞といった従来のメディアに取って代わる勢力となっているとは聞いていたが、確かにそのニュース性、つまり生きのよさでは旧メデォアをしのいでいるように思う。

日本ではここまでブログが優勢になるバックグラウンドはまだない。アメリカにいた頃CNBCを朝の5時すぎからみていたことがあった。このチャンネルは経済、ビジネスにフォーカスしたチャンネルだったから、日本のそれに類する、たとえばテレビ東京のものを思い浮かべるかもしれないが、全く違っていた。

9時からはじまる株式の取引(オープニング・ベル)にあわせてその日の予測をたてるのがキャスターたちの役割なのだろうけど、二人のキャスターが自分の予想、意見を互いに披露しあい侃々諤々それを闘わせ、そこにゲストも加わって、とにかくにぎやかなのだ。キャスターの一人は50代、もうひとりは40代のはじめといったところか。またこの番組には注目企業のCEOもよくよばれていて、といっても中継を通してだけど、彼らが引っ込んだ後に彼らへの批評が出て、それもかなり独断に近いものもあり、とにかく面白かった。アメリカ人は「自分の意見を声高にいってなんぼ」いうところがあるけれど、この番組ほどそれをよく示しているものはないと思った。お行儀よく一般的な意見を述べるにとどまる「日経モーニングサテライト」の上品なキャスターからは想像もつかないだろう。

そこに視聴者から問い合わせの電話が入ると、それへの返答でもキャスター、ゲスト入り乱れての「闘い」の様相になる。アメリカ社会の縮図のような荒ましさで、株式の情報を取得するためというよりはそのヒューマンドラマをみるのが楽しくて、この番組をみるのを日課にしていた。

でもなにげなく見ながらも、身につまされる思いをすることもあった。というのも、この丁々発止の意見交換はそのまま授業の中でのそれと本質的におなじだからである。私は日本人にしてははっきりとものを言うタイプの人間だと 思い込んででいたが、アメリカ人学生に混じるとどうしても一歩引いてしまう。もちろん英語の問題もあるけれど、それよりもメンタリティの問題だと分かっていた。英語そのものも「自己主張」をするようにできた言語だから、二重にハンディを負って苦しかった。彼我の違いを否応なく認識させるのが、この朝の番組でもあった。

日本に帰ってくると、報道番組でなんとも人間的な、そして言語を介してのやりとりの光景を観ることがあまりない。報道の正確さ、信頼性という点ではアメリカも日本も同格かもしれないが、そこに参加することができるという意味で、アメリカのほうがずっと「面白かった」ように思う。また日本のようなスタティックな番組構成ではアメリカ人視聴者は満足しないのだろう。逆に日本であのような番組は不可能だろう。視聴者があっけにとられるのがおちだから。スカパーで日経CNBCというチャンネルがあるけど、多分これは本家のものとはずいぶんとちがっていると想像がつく。本家のCNBCで人気者になった若い女性キャスターがいたけど、それはきれいだからという理由からではなく(女優のようにきれいな人だったけど)、そのコメントが的確だったからだ。この番組の二人の男性キャスターも人気者で、ファンも沢山いた。

こういう経済番組の饒舌さは他にもみられた。経済ブログ(?)の元をたどればyahoo finance などの読者投稿欄 (board) になるのではないかと思う。株の情報を交換、それらを互いに評価しあって、これもまたにぎやかだった。信憑性を疑うようなものも多々あったけど、信頼に足る意見、情報はその投稿者によって読者は判断していたのではないだろうか。オープンであると同時にSNSのような面もあった。これが現在の人気ブログに発展したと勝手に推測している。この読者投稿欄を久しぶりにのぞいたら、相変わらずのある種の「低次元な」やりとりであふれてはいたけれど。