yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

芝居『伝八酒』恋川純弥劇団@新開地劇場

新川博也さんゲストでした。

23日の新開地、岡山からの遠征組が50人近く来ていて、月曜日だったのにもかかわらず、30分前に着いても後ろの補助席でした。でも、ものすごい熱気で見ごたえ充分でした!



お芝居は『伝八酒』。主人公の伝八は博也座長、その妹をカレンさん、歌舞伎役者の小三郎(字がまちがっているかも)を純弥座長、その弟子を笑也さん、金貸しのばあさんを博之リーダーという配役でした。昔からある芝居らしいですが、私は恋川劇団で以前に一度観たことがあるだけでした。その折、伝八は二代目純副座長が演じていました。



老舗大店の息子の伝八は無類の酒好きで、親の作り上げた店の身代をつぶしてしまっているが、一向に放蕩を止める気配がない。金貸しの銭屋からの借財は膨らむ一方で、今日も今日とて銭屋から借金の取立てにあった妹は自殺しようとしていた。



そこに通りかかった人気役者の小三郎が当座分の50両を立替え、その場はおさまる。伝八の妹、小三郎、その弟子たちはなんとか伝八を立ち直らせる方策がないかと頭を痛めている。そうとは知らない伝八が茶店で酒を注文するが、そこのおかみ(真子さん)に説教される始末。



帰り道、銭屋につかまった伝八はばあさんを小三郎の屋敷へ連れてゆく。小三郎に借金をたてかえてもらおうという魂胆である。しかし、小三郎からは拒否される。伝八は小三郎に自分の父親が彼を贔屓にしていたおかげで、今の役者に成り上がることができたのに、その恩を忘れたかとつめよる。小三郎は恩は舞台で返したし、息子の伝八に恩義はないとすげない返事をする。小三郎に殴りかかった伝八は逆に額を割られ、万座の中で恥をかかされる。小三郎は伝八に、「悔しければ自分を見返してみろ、そのときには額の割返しを受けてやる」という。



悔し涙にくれながら帰る伝八。それを妹が迎えに来る。二人が川端を通りかかったとき、金がずっしり入った財布を拾う。それは、小三郎が銭屋に頼み、わざと落としておいた財布だった。伝八はその金を元手に酒屋を開く決心を妹に話す。



5年が過ぎ、伝八の酒屋は酒の美味さで評判をとり繁盛している。そこへ上方で成功をおさめ江戸へと進出することになった小三郎が訪ねてくる。酒を所望するが、伝八に断られる。小三郎をののしる伝八だが、そこで小三郎が5年前に伝八の頼みを拒否したのも、彼を立ち直らせるためだったこと、また都合よく落ちていた財布の金を小三郎が用立てたものだったことを知る。成功した伝八からの額の割返しを受けようという小三郎に、伝八は謝り、あらためて礼をいう。



博也さんの迫真の演技、突出していました。彼が最初に登場する場面、川べりの茶店でのくだの巻き方に、坊ちゃん育ちのわがままさ、手前勝手さ、それでいてどこか憎めない可愛げ、品のよさ、人の良さといったものを一度に表現できる力量は並みのものではありません。子供がそのまま大人になったような人柄、その邪気のなさといったものを、自然体で、つまり演技しながらも演技していないようにみせる技は難しいものです。そこのところが演じきれていないと、最後の場面での小三郎とのからみが不自然になります。くさい芝居がかった大仰なものになってしまいます。大衆演劇ではそういう「くさい」芝居をすることが多く、客もそれを「期待」しているところがあるのも事実です。ここでなら、小三郎が伝八のために打った芝居だったことを知った伝八の反応の仕方にそういう演技が求められるのかもしれません。でも博也さんはそこはある種のリアリズムで演じていました。大衆演劇以外のもの観て「育った」私には、こちらの方が逆に迫力がありました。脱帽。



純弥さんの小三郎も、その臭くない演技が博也さんの演技と最高に上手く連動し、相乗効果をあげていました。息もぴったりでした!それと、伝八の役を博也さんに振った純弥さんの「心意気」に感動しました!



夜の部は比較的前の席でみることができて、堪能しました。送り出しのときに、年配のお客さんが博也さんに「本当にお芝居、上手だった!」とおっしゃっていたのが、印象的でした。